「課長 島雅彦」 阿部和重、「愛情省」 見沢知廉

 『新潮』11月号より。ちょっとした時間ができたので大学の図書館で読んだもの。
 「課長 島雅彦」 阿部和重
 わずか4ページの掌編ではあるんだけど、文具メーカーの社内報連載コラムを書くことになった「課長」の思考が流れ出るように語られる様と、さらにはその「課長」は実際には文具メーカー勤務、社内報コラム担当の「課長」なのではなくそれは単なる妄想だったという展開が、その掌編の中にもはっきりと阿部和重の姿を際立たせる。さて、その妄想(私は課長だ)で、彼が体現していたのは作家S(島田雅彦のことだろう)に代表される中年=「課長」のイデアだ。この小説中では阿部和重流の奔流のような文体でその「課長」の性質が書かれていて、それはいつもどおりのユーモアさと多少の狂気を感じさせてくれて心地よい。だけど、なんとなく全体としてスタイリッシュに過ぎる印象があって、それは居酒屋で酒を飲みながらグダを巻いているような印象が強い「課長」についての掌編がこんなスマートな構造をしているからなんだろうな、なんて思った。作家Sと阿部和重の間にあるのかないのかな確執*1については知らないし興味もないけど、そんなものを参照先として例示されてもなあというのもあった、こういった形で噛み付くのは確かに阿部和重っぽいけど(というか阿部作品の登場人物っぽい)。

 「愛情省」 見沢知廉
 見沢知廉の遺作。主人公は検察によって「カルト事件」だと蔑称される何らかの罪を犯し、逮捕されている。拘置所内病舎に収監され刑事司法鑑定を受けることになる、その結果責任能力なしと判断され、無罪判決が下され、精神病院内閉鎖病棟への措置入院処分となる。留置所、拘置所内病舎、精神病院内閉鎖病棟の描写は見沢知廉ならではもの。閉鎖病棟

ソフトな顔をして薬物や隔離で異端者の抵抗や力を奪う、洗練され尽くした高度文明社会科学の傑作、芸術的な国家権力最後の砦なのだ―。

と書いているが、その芸術的処置の様子があまりに精密に書かれている。「これが現実なのか…」と呟きながら力を抜かずに抵抗する主人公が最終的に無心の境地、悟りに達するというのは普通なら予定調和に過ぎる感じもするのだけど、ベッドに拘束されたまま力んでも小便が出なかったのが無心になったらシャーっと出た、なんていうあまりに現実的な契機によったものであるとされてしまうともはや何もいえない。
 まあこの辺の見沢節はともかく、最初に書いたような「カルト事件」であると判断されたのが主人公の政治的思想に基づく事件だったということがこの遺作の重要なテーマになっているんじゃないかと思う。もはや政治犯は思想に殉ずることを許されていない、刑法39条に関してよく言われるように、政治犯が裁かれる権利すら失ってしまったということを書いている。政治思想が違法ではなく異常であるとして法=社会の外部へと排除されてしまう状況、さらにその外部である閉鎖病棟の有様を書き出した遺作はとてもとても、恐ろしい。オーウェル1984年』とフーコーあたりが副読本かな。

*1:追記:http://www.be.asahi.com/20050827/W24/20050818TBEH0004A.htmlが小説内で言及されているものらしい