南泰裕『トラヴァース』を家に帰る電車の中で読んでいた。本の半ばほどに「都市居住の今日的描像」という小論があって、そこでは都市における住居が「仮の住居」として感受されることと、ねじれた「集合性」のもとにあることをキーワードとして論が展開されていた。僕は最初に、家に帰る電車の中で、と書いたけど正確に言うと居候先の家に帰る電車の中で、と言わなければいけなかった。今の自分が都市居住者の典型、なんて言うつもりはないんだけど。
 先週の火曜日に愛すべき綱島の下宿先を追い出されてからというもの友人宅を転々と渡り歩いている。女の子だったり男だったり、あるいは漫画喫茶だったり。僕の寝てる横で家主と彼女がいちゃついてたり。あんなに大好きだった自分の部屋が自分の出て行った次の日には別の人間の住居となっていることへの違和感…というよりも驚きや、わりと深刻な状況にあるはずなのになんとなく気楽に一週間ばかり過ごしてきた自分への違和感…というよりもやっぱりこれも驚き。彼女でも作って家に転がり込む…ってのはデジタルな生き方だけど、なんとなく性に合わないのでしばらく放浪生活を続けてみようと思う。

 てきとー

 珍しくアクティブに活動するとはてなダイアリーに書きたいことがあってもなかなか書けないもんだなあ。とりあえず寝ます、おやすみなさい。試験あと1つと卒論がんばろう。予算による抗弁は認められない。

軍艦アパート

 あけましておめでとうございます。年末年始はとても怠惰に過ごしてしまい少し反省。昨年は割と興味だけはあったことなんかに手を出すことができて楽しい1年だったので、今年はそこからもうちょっと深く進んでいければなあと思っています。狭く浅い自分の頭の中身をいい加減なんとかしたい。

 写真は今日見てきた大阪の軍艦アパート(こちらのサイトに解体工事が始まる前の写真があります)。行きたいなーと思ってたんだけど気づいたときには解体工事がはじまっていて、ネットで調べてみてももう中には入れないとかなんとか。まあ完全に無くなっちゃう前に行ってみようとお友達と急遽恵比寿町へ。実際行ってみると入れないどころか、割と高くて可愛げもなにもないフェンスか立ちはだかり、上方は上方で変な黄色のちょっと太めの電線が張られてて写真も撮り辛い感じに仕上がってた。まあそんな中記念に撮ってきたのがこの1枚。
 この妙な出っ張りは「出家/でや」と言うらしく、家が手狭になったからって自前で増築したものらしい。建築基準法なんて知らないけど、とりあえずこれがイリーガルっぽいのは理解できる。狭いから突き出しちゃえ!っていうラディカルさはMVRDVぽいなって思ったけど、所与の条件から合法的なソリューションを与えた結果のMVRDV的出っ張りとは違って、家族が増えて手狭になってきたからちょいと作っちゃうかみたいな(多分イリーガルな)手作り出っ張り。僕の撮ってきたこの1枚じゃ伝わるべくもないし、僕もフェンスで囲まれた状態のそれを見ただけだから偉そうなことは言えないんだけど、各戸が自前で「出家」を作ってるにしてはアパート全体に不思議と統一感があった、凄い。軍艦アパートについての論文とかあるのかなーちょっと調べてみよう。

 えと今年もたまーに色々書いていこうと思うのでよろしくお願いします。

 シネマヴェーラで『新ドイツ零年』を見てくる。自分の教養の無さを痛感させられる。フランソワ・ミュジーの音響が本当に凄くて印象に残った。帰りに図書館に寄って松浦寿輝ゴダール』を借りて家の近くの喫茶店でパラパラ。『新ドイツ零年』に関する所を先に読むと、『アルファヴィル』の後にエディ・コンスタンティーヌアンナ・カリーナがギャラクシー・フリーウェイから落下して爆死したのは誰一人知らぬ者のない映画史の常識、とか書いてあったんだけど、これ知らなかった…。出典てどこなんだろー。出典とか以前だったり、あるいはギャグを間に受けてたりとにかく死ぬほど恥ずかしいエントリになってる気がしてならない。

他に見たもの。

ラ・ジュテ [DVD]

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アナザー・カントリー [DVD]

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『本当の話』 ソフィ・カル

本当の話

本当の話

 ソフィ・カルのことを目にする度に、ずっと前から知ってるような気がしてもやもやしていたんだけど、この本の後書きを読んでやっとすっきりした。そうか、オースター『リヴァイアサン』に登場するマリア・ターナーのモデルだったのね。ソフィ・カルと知り合って彼女に魅せられたオースターが彼女をモデルとした女性キャラクターを登場させたらしい。すごくすっきり。本文も面白かった。ボードリヤールの「ヴェネツィア組曲」論は面倒だから読み飛ばしたけど…。
 「ヴェネツィア組曲」は見知らぬ他人の尾行をすることが趣味となっていたソフィ・カルが、ある日尾行していた男を見失った後にその夜たまたまその男を友人に紹介されたことから(「から」の用法がおかしい件については僕に言われても困ります)、その男がヴェネツィアに旅立つという情報を元に彼女もまたヴェネツィアへと旅立ち、男の宿泊所を調べるところからはじめて、ただ、追いかけていくというもの。
 それを裏返しにしたような「尾行」という話も収録されていて、こちらは私立探偵に彼女の行動を一日追跡させるというもの。依頼は彼女の母を通してなされ、探偵は、彼女が尾行されていることに気づいていることを知らない。彼女のその日の日記と探偵の調査報告書の二部構成になっている。彼女は好きな通りや場所、さらには本当の父親だと彼女が思っている男を彼に「見せてあげたい」などと言う。彼女は監視させているという地位を利用して、探偵を自由に連れまわし、自らの人生に介入させることができる。もちろん、彼女の方でも彼に監視されているからこそ、彼にお気に入りのものを見せてあげたいという欲望が生じたわけで、彼女もまた彼の人生に介入させられているというべきだろう。なんて双方向のコミュニケーションが暗黙裡のうちに生じているとかなんとか美しいオチがつけばそれでいいんだけど、面白いのは彼女が20時からギルバート&ジョー*1のパーティーのためにアパルトマンに入ったのを探偵の方では「二十時、対象者は自宅に帰宅。調査終了」などとして早々に調査を切り上げているところ。おそらく探偵がとっくに帰宅してベッドですやすや眠っているだろう午前5時、彼女は「目を閉じる前に、『彼』のことを考える。わたしを彼は気に入ったかしら、彼は明日わたしのことを考えるかしら」などと彼への思いを馳せている。そもそも彼女の彼に対する熱意に対して、調査書という形式が要請する冷徹な文体には彼女の思いの反映など伺える余地はない。もちろん調査書に探偵の感情の全てが反映されないなんてことは自明だけど、勘違いによってか意図的にか早々に仕事を切り上げた怠慢な探偵がその仕事中に繊細な感受性を持って彼女の意図を少しでも受け止めていた、なんてことはちょっと想像しにくい。