『本当の話』 ソフィ・カル

本当の話

本当の話

 ソフィ・カルのことを目にする度に、ずっと前から知ってるような気がしてもやもやしていたんだけど、この本の後書きを読んでやっとすっきりした。そうか、オースター『リヴァイアサン』に登場するマリア・ターナーのモデルだったのね。ソフィ・カルと知り合って彼女に魅せられたオースターが彼女をモデルとした女性キャラクターを登場させたらしい。すごくすっきり。本文も面白かった。ボードリヤールの「ヴェネツィア組曲」論は面倒だから読み飛ばしたけど…。
 「ヴェネツィア組曲」は見知らぬ他人の尾行をすることが趣味となっていたソフィ・カルが、ある日尾行していた男を見失った後にその夜たまたまその男を友人に紹介されたことから(「から」の用法がおかしい件については僕に言われても困ります)、その男がヴェネツィアに旅立つという情報を元に彼女もまたヴェネツィアへと旅立ち、男の宿泊所を調べるところからはじめて、ただ、追いかけていくというもの。
 それを裏返しにしたような「尾行」という話も収録されていて、こちらは私立探偵に彼女の行動を一日追跡させるというもの。依頼は彼女の母を通してなされ、探偵は、彼女が尾行されていることに気づいていることを知らない。彼女のその日の日記と探偵の調査報告書の二部構成になっている。彼女は好きな通りや場所、さらには本当の父親だと彼女が思っている男を彼に「見せてあげたい」などと言う。彼女は監視させているという地位を利用して、探偵を自由に連れまわし、自らの人生に介入させることができる。もちろん、彼女の方でも彼に監視されているからこそ、彼にお気に入りのものを見せてあげたいという欲望が生じたわけで、彼女もまた彼の人生に介入させられているというべきだろう。なんて双方向のコミュニケーションが暗黙裡のうちに生じているとかなんとか美しいオチがつけばそれでいいんだけど、面白いのは彼女が20時からギルバート&ジョー*1のパーティーのためにアパルトマンに入ったのを探偵の方では「二十時、対象者は自宅に帰宅。調査終了」などとして早々に調査を切り上げているところ。おそらく探偵がとっくに帰宅してベッドですやすや眠っているだろう午前5時、彼女は「目を閉じる前に、『彼』のことを考える。わたしを彼は気に入ったかしら、彼は明日わたしのことを考えるかしら」などと彼への思いを馳せている。そもそも彼女の彼に対する熱意に対して、調査書という形式が要請する冷徹な文体には彼女の思いの反映など伺える余地はない。もちろん調査書に探偵の感情の全てが反映されないなんてことは自明だけど、勘違いによってか意図的にか早々に仕事を切り上げた怠慢な探偵がその仕事中に繊細な感受性を持って彼女の意図を少しでも受け止めていた、なんてことはちょっと想像しにくい。