南泰裕『トラヴァース』を家に帰る電車の中で読んでいた。本の半ばほどに「都市居住の今日的描像」という小論があって、そこでは都市における住居が「仮の住居」として感受されることと、ねじれた「集合性」のもとにあることをキーワードとして論が展開されていた。僕は最初に、家に帰る電車の中で、と書いたけど正確に言うと居候先の家に帰る電車の中で、と言わなければいけなかった。今の自分が都市居住者の典型、なんて言うつもりはないんだけど。
 先週の火曜日に愛すべき綱島の下宿先を追い出されてからというもの友人宅を転々と渡り歩いている。女の子だったり男だったり、あるいは漫画喫茶だったり。僕の寝てる横で家主と彼女がいちゃついてたり。あんなに大好きだった自分の部屋が自分の出て行った次の日には別の人間の住居となっていることへの違和感…というよりも驚きや、わりと深刻な状況にあるはずなのになんとなく気楽に一週間ばかり過ごしてきた自分への違和感…というよりもやっぱりこれも驚き。彼女でも作って家に転がり込む…ってのはデジタルな生き方だけど、なんとなく性に合わないのでしばらく放浪生活を続けてみようと思う。