ストローブ=ユイレアンティゴネー』

 人の影響で最近ちょっとずつ映画を見てる。中でも印象的な程眠かった『アンティゴネー』について少しだけ。ギリシャの円形劇場でのブレヒト版『アンティゴネー』の上演をそのまま映画したのか、映画のための上演だったのかはちょっとわかんないけど、カメラが発言者へと固定され、役者が突っ立ってセリフを読むだけの起伏のない映画だった。全く動きがなかったわけじゃないけど、殆どない、と言って過言ではない。
 実際にこの劇を観に行ってれば視線を様々に劇場の外や、自分の足元、可愛い女の子の観客なんかの方へ動かしていたことだろうけど、この映画でカメラによって視線が固定され、僕の視線の逃げ行く先と言えば瞼の裏ぐらい…まあ、なんとか寝ないで最後まで見ていたけど。生真面目な、という性格的形容をしてしまうくらい劇の良き鑑賞者であるカメラさんの視線は、あまりに真っ直ぐだから、時にはこっちが気まずくなるような、あるいは苦笑しちゃうようなショットもチラホラ、クレオンの長子メノイケウス(?名前を忘れたのでネットで調べたらこれっぽかった。ソポクレス版だとこの人最初から死んでた気がする)の戦死を伝えに来た兵士が立っている所のショットが映った瞬間ちょっと笑っちゃった。id:switchboardさんに至っては声をあげる始末。
 あと気になったのが途中でいきなり空に雲がかかって画面が多少暗くなるシーン。暗くなるシーン、なんていう言い方は人間的なものの見方に引き寄せ過ぎてるかもしれない。ストローブ=ユイレがあの雲とか、あと風がビュービュー吹いてくるのとか全部計算してやってたら凄く恥ずかしいんだけど、僕には空は自由に暗くなって、風も関係なくビュービュー吹いてて、人間は人間で勝手に演劇(そして撮影)をしてるような気がした。例えばあれが雨だろうが台風だろうが、もしかしたらそのまま撮影し続けたんじゃないかなっていう気がする。雲や風は僕たちの感覚、時間なんかと全く無関係に移ろっているもんだし、この映画を観た後だと情景描写なんていうのはお笑い種なように思えてくる。雲は雲、風は風で僕たちとは何の関係もないことをストローブ=ユイレの『アンティゴネー』は示していた(とどこだかの本で読んだドゥルーズの映画論の一部を身をもって体験した気分。観ている途中は退屈だなーと思ってて、雲なんかも多少気になった程度だったけど、帰り道にふと時間がどうこう言っていたドゥルーズのことを思い出した)。

 他に観たもの。
カウリスマキ過去のない男
・キェシロフスキ『トリコロール/青の愛』
ゴダールアルファヴィル
ストローブ=ユイレ『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記
フェリーニ『道』
・レネ『ミュリエル』