小学生の作文

 

「正しい戦争」は本当にあるのか

「正しい戦争」は本当にあるのか

 戦争を違法化することによって、戦争を起こした集団・国家に対して制裁を加えなければならないことになり、この地点で「正戦」という概念が要請されることになる。まあここまでなら「正戦」っていう概念に問題があるようには思えないんだけど、では現在アメリカが行っている「正戦」のどこに問題が孕んでいるかというと、対象となる「悪い政府」の選択が恣意的であるという点だ。この点はこれまでに触れた藤原帰一の文章では常に問題視されていた。正しい戦争について考えてみると、「正戦」なんていうのは疑いの目を向けるしかない概念だけど、世界を危機に陥れかねない国家を放置しておくとナチスみたいなことになっちゃうし、うーん…というまあ僕の頭だとこんな所が精一杯。じゃあどうすんのよってなると、国連の強化というこれまたよくある話になっちゃうんだけど、「正義の戦争」なんていう大事だけど難しい戦争ではなくて「合法な戦争」という簡単だけど危険な戦争をなるべく世界全体で管理して運用するっていう風に考えたときにそこにしか行き着かないのかな、なんて。世界全体、と言ったときに排除される外部を意識することとか、恣意的な軍事力の運用を制限すべく国連で「合法な戦争」を遂行するようになったとして、それでもやっぱり「正義の戦争」っていうものはそれがそれぞれの国家、個人の主観的なものになってしまうんだとしても考えなければならないだろう。
 グローバリゼーションがアメリカの陰謀だとかなんだとかいう話に対して、ワシントンは経済的なリソースを動因できないんだからグローバリゼーションの拡大とワシントンの政策はノットイコールだっていう話が出ていて、これはいつだったか(いつでも、なのかもしれないけどそれはしらない)、ネグリが似たようなことを言ってたなあと思った。戦争のコストが極めて高いことを考えたら、国際世論はワシントンを説得するよりは、アメリカの経済貴族達を説得した方が効果が期待できそうってことになるのかしらね。ただ、じゃあグローバリゼーションによる南北問題はどうすんだ、っていったらこれはまた別の問題で、色々考えてみても何にもグッドな方法は思いつかない。それはとても悲しい。ただ日本が経済を武器にしたときには外交がうまく良く傾向があるという話を聞くと、カンボジアで魅せたその手腕を持ってアメリカから精神的に独立して経済大国の地位に見合った尊敬を獲得しつつ、富を再分配することもできたりするんじゃないのと思ったりもする。 

 北朝鮮のミサイルどうこう、とかなんだとか現実的な問題が発生したときにいつでも僕は口にすべき言葉を持たなくてそのことに不安な気持ちになってしまう。現実的かつ誠実にものを考えている人だなと思っている藤原帰一の本を焦って手に取り色々考えようなんていう発想をしちゃう自分に少し笑ってしまった。贔屓目に見てもマセた小学生なら考えてそうなことを来年から社会人になる大学4年生の僕が公の場でダラダラ書いてしまうのはとても恥ずかしいけど、せっかく北朝鮮が考える機会を与えてくれたんだし、と変な言い訳をしてアップしてみようと思う。

 そういえばうちはネット環境もなければテレビもないので、ミサイル発射事件を知ったのはその日の昼過ぎぐらいに友達と会った時だった。びっくりはしたんだけど、上にも書いたようにそういうときにどういう現実の絡み合いからこういう事実が生まれたのかさっぱりわからないし、それについて何かを言うなんておこがましいことのような気がして口を噤んでしまう。まあそんなことを考えながら漫画喫茶で色々関連ニュースを見ていて一番印象的だったのがこれで、(実際にどうなのかは別にして)様々な分析のソースを一番たくさん持ってそうなアメリカさんでも「動機を知ることは不可能だ」なんて言っちゃうくらいわけのわかんない事件なんだなって思った。そして、漫画喫茶の帰り道に、隣国がならず者国家なんだったらなんとかしようがあるけど、気が狂ってる国家だったら本当にどうしようもないな、なんてPC的にはどうかと思う感想を抱いたことは覚えてる。