『鉄鼠の檻(1)〜(4)』 京極夏彦
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/10/14
- メディア: 文庫
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
まあそれはさておき、『鉄鼠の檻』を読んでいて印象的だったのは、禅という言葉を排したルールが支配する僧侶連続殺人事件に対して、言葉でもって「憑き物を落とす」陰陽師探偵京極堂は、戦う前から負けている、と宣言する。もちろん、探偵役が敵前逃亡するようでは話にならないからなんだかんだと付け入る隙を作って事件は解決するんだけど、このルールの違いを認識して戦わないと宣言する京極堂は、端的に言ってとても賢い。
中国のガルシア・マルケスと評されている(らしい)獏言のアンチミステリ、というかアンチ探偵小説『酒国』は、検察官のジャックが、酒国市というところで嬰児の食人が行われているという事件を調査しにいくものだ。多少難解な構造になっているので解説を参照しながら読んだんだけど、要するに酔っ払いのルールが支配する酒国市に対してジャックがそのルールもわきまえないで、空気も読まずに乗り込んでいって悲惨な目にあってしまう、という話。大筋としてはこうなんだけど、『酒国』は作品中で書かれている作中作であり、さらにその獏言よる作中作に影響を与える、獏言と作家見習いの往復書簡、作家見習いが獏言に送りつけてくる酒国市を舞台にした奇妙な小説が入り混じった複雑な構造を持っている。だけどその構造についての話はおいておくとして、まあ『酒国』(正確には作中作の『酒国』だけど)は、探偵役であるジャックがその探偵役であるという自覚故に高慢に振る舞い、身を滅ぼしていく話であると言っていい。この点をもって最初にアンチ探偵小説だと言ったわけだ。
このジャックと比べたとき、京極堂は優秀な探偵というよりは非常に律儀で賢明な探偵だということができるだろう。京極堂の莫大な蘊蓄は他者とのルールを共有するために要請されている、土足で乗り込んでいってロジックのナイフで事件をスパッと解決する探偵と違うのはこの点だ。だがしかし、『鉄鼠の檻』では知識=言葉によるルールの共有が不可能な次元でルールの差異がある。禅宗だけはマジヤバイってもんだ。京極夏彦はそんな律儀な探偵の危機的状況を形だけでも書き出した点で、探偵小説があくまでルールの共有に基づくゲームであるということに自覚的なんだろうなと思った。