『大阪人の皮膚・東京人の仮面』

 最近、電車の中とかで関西弁を喋ってる人間がいると苛立ちを覚える自分に気づいた。大阪生まれ大阪育ちの僕は大阪では関西弁を喋るけど、東京にいるときは標準語を喋ってる。「大阪人の中の東京人」、標準語を流暢に操る関西人エリートとして、僕は先に書いたような関西弁を露骨に喋る関西人に対して苛立ちを覚えてしまうのだ。インターネットの普及に伴って東京と地方で情報へのアクセスしやすさが変わらなくなったとか、Amazonなんかのネットショッピングで物的なアクセスしやすさまでも同程度になったとか言っても、やはり東京中心主義的思考に十分侵されているんだなあと感じた。(関西弁を東京で聞くとなんとなくイラっとくるのは本当なんだけど、このエントリーはあくまで冗談です!)