ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 1 (ヤングサンデーコミックス)

 待ちに待ったというと少し大げさすぎるけど、まあ楽しみにしていた浅野いにおの『ソラニン』を買った、学校に行く途中に渋谷のパルコに寄って買い、電車の中、駅から学校、授業中、帰り道と何回も読み返した。
 『素晴らしい世界』においては(id:t_yoshida:20040820#p1)、「奇病」という道具を使うことで世界を停止させ、結論を先送りにした浅野いにおだけど、当然のことながら現実世界は最高に幸せな瞬間で世界が止まる程甘くはなくて、その先を僕たちは生き抜かなければならない。
 id:kebabtaro:20051207#p1さんがクリプキの固有名と確定記述という話を参照なさっていたけど、登場人物である彼らは確定記述の要素に我慢できないが故に、「この性」への欲望が大きくなっているんじゃないかと思う。学歴でも企業名でもなんでもいいけど、一流大学を出て、一流企業に勤める、なんていう線路に乗っていればあくまでその中で置き換え可能なパーツであったとしてもある程度はそれに耐えることができるんじゃないかなあ、ということ。そしておそらく、現実にそんなレールに乗れない人間が増えているからこそ、この「この性」の追い求めというのはリアルな問題となっているんじゃないか。僕は浅野いにおの主要参照先である『青い車』の時代がどんなものだったのかわからないけど、浅野いにおは作品中の人物が社会に出て行かないようにテクニカルに妨害しなければならないのは当時と今の経済的な状況の差異が大きいのかななんて思う。平凡な日常のまま終わらずに、社会に出さないことまで描いているのは浅野いにおなりの誠実さじゃないか(散々結論の先送りだとか文句を言っておいてこの言い草は我ながら酷いな)。さて、問題を僕の個人的な経験を一般化できるわけじゃないのは承知で言うけど、「大学なんて行ってもしょうがないからフリーターをやってやりたいことのために頑張ってる」なんて紋きり型の文句をここ最近何回か聞かされた。少しそういう生き方を羨ましいと思ったのも事実だけど、現実には年齢や(作中でも言及されていたように)貯金残高と言った問題が現実的なリミットとして存在しているわけで、いずれはそれと向き合うことを余儀なくされる。受験戦争や就職戦線の敗者(当然、これは主観的な判断による、勝者と敗者の境界線はある程度社会的な基準があるとはいっても人それぞれとしか言いようがない)、あるいはそこへの参入権すら与えられなかった者は自らを夢によって支えなければならない。そしてその夢に妥協は許されない、そのような崖っぷちの危機的状況を描くのが浅野いにおは本当にうまいと思う。まあ1巻の最後は「またっすか…」って感じがなくもないんだけど続きがあるみたいなのでその辺は期待してみることにしよう。