アーキタイプス

 カナダ大使館高円宮記念ギャラリーに「アーキタイプス」展を見に行ってきた。印象に残ったのは、カラム・モートンと東恩納裕一。
 カラム・モートンは、ミースのファーンズワース邸をセブンイレブンに、フィリップ・ジョンソンのグラスハウスをモービルのガソリンスタンドにCGで変形させるというパロディをやっていた人。現代建築への皮肉なんだろう。この作品を見て以来、ガラス張りのコンビニエンスストアーがどれもこれもファーンズワース邸に様に見えてきてしまった。たしか、ファーンズワースさんって、あのガラス張りの家にすごく文句をつけていたとかなんとかだった気がするけど、あのガラス張りの建築スタイルは、防犯上コンビニエンスストアーにとても適しているように思える。コンビニエンスストアーっていう当時はなかった概念へのマッチ。決してミスマッチではないあたりが単なる皮肉以上の印象を与えるんだろうか。
 東恩納裕一は、リング状蛍光灯を組み合わせてシャンデリアを作るという馬鹿げたことをやっていた人。もともとは、身近にあるファンシーなものを使った作品を作っていたらしい(レースのカーテンだとかファンシーケースだとか)、それによってフロイトの言うところの不気味なものを曝け出していたんだとかなんだとか。で、この蛍光灯を使った作品は今までとは違った方向性へ向かおうとしたもので、それは身近にある不気味なものを突きつけるといういわばアイロニカルな手法から、圧倒的な「強度」を突きつけるという方向へと自ら意識的に転換をはかったということらしい。「強度」という用語にピンときてはいるもののいまいち定義しきれていない部分が作者自身にもあるらしいが、どうやらまあ圧倒的なものを作りたいということみたい。ファンシーなものも、蛍光灯の光にあふれる空間も日本独自のものだけど、その前者には好き嫌いの感情が半々で存在するが、後者に対しては嫌悪感が存在しないと作者は言っている、だから蛍光灯を使った作品にはアイロニーが介入することなく、「強度」を持った作品がうまれる。アイロニカルなやり方に飽きたから、「強度」を持った作品…てのはちょっと単純すぎる気はするんだけど、芸術家に関してはそれでよいのかもしれないなあとも思う。あのシャンデリアを見ればたしかに自然と馬鹿馬鹿しさから笑いがこぼれてきてしまうし、そのような力のある作品が「強度」のある作品だというならなんとなくそれでよい気もする。