「ポー」ワールド

 藤原薫『おまえが世界をこわしたいなら』の上巻を借りて読んだんだけど、モロに萩尾望都ポーの一族』だった。マンガに詳しいPさんに聞くと『ポーの一族』+短編の「酔夢」で似てるどころの騒ぎじゃなくなるらしいのでそっちも読んでみよう。『おまえが世界をこわしたいなら』は今時っぽいオシャレ吸血鬼マンガになってて、歴史的な厚みが(少なくとも上巻の時点では)持たされていないから本家(本家て)に比べて軽い。岡崎京子の「VAMPS」は…まああれはあれということで。
 なんか酷い感じの感想になってしまったけど、吸血鬼の仲間に加えることへの葛藤だとか拒否反応が恋愛感情という相対的に陳腐な感情とあわさる点は本家になかったオリジナリティだと思う。恋愛/愛の違いが『おまえが世界をこわしたいなら』/『ポーの一族』の違いになっているように感じた。エドガーとアランの疑似恋愛は、その同性愛的な恋愛感情が疑似的なものとしてしか成立していないからこそ、恋愛感情を超えた愛になってる、身体的な未熟さと内面の成熟というのは『ポーの一族』の重要な要素だけど、やっぱり僕らの目は身体的な未熟の方に行くし、エドガーとアランも、少年のように振舞っている(無論彼らは生き残りを賭けてそのように振舞っているのだけど)。そんな幼い彼らに恋愛感情は見ることができないし、それでもなお彼らが結びついているのはそれを超えた何か(それを愛と言ったんだけど)があるからだろう。幼稚園児くらいの女の子と男の子が手をつないでいてもそこに恋愛感情を見ることができないのと同じようなもんだと思う、僕らが失った純粋さ。一方で、『おまえが世界をこわしたいなら』はそもそもが恋愛感情からスタートしているんだからね。下巻でどう破綻をきたすのか楽しみだなあ、恋愛感情で結ばれた「ポーの一族」なんて破綻しか見えない。