『Vous etes ici』 Mathieu Bernard-Reymond

 http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2742744967/qid%3D1115445443/402-0487403-8847348
 http://www.monsieurmathieu.com/

 amazon.frでしか見つからないので一応そのアドレス(上のがそれ、アクサン記号が化けたりするかも)を乗っけておくことにする。本の表紙を見てもらえればわかるんだけど、この写真集にはある瞬間を切り取ったものではなくて、人の動いた軌跡を表現したような写真だったり、下のアドレスで見ることができる写真集掲載作品の一部のように日常生活から切り取られたような人間がこの世の果てのような場所に移しかえられたりしているような写真だったりが収録されている。コンピューターで加工しているのかな。タイトルの「Vous etes ici」は英語で言うと「You are here」。写真ていうと「ici=here=ここ」をそのままに提示するものだという意識がすごく強いし、この写真の違和感の正体になかなか気付けなかったくらいに僕はその意識に縛られているんだけど、「ここ」が複数系だったり、ずらされたりしている写真をこうも鮮やかに見せられると、写真に対する信頼が揺らぐ。こんなにまで異常な写真なのに、あくまで登場人物は日常を生きていて、しかも写真そのものは美しい。写真への挑発と、登場人物の日常性、写真としての美しさという変わった3つの要素がどれも高水準で生きているなあと思った。寝る前とかに時々見るようにしている、「決定的瞬間」の失効。
 えと、アイコラだとかそういうのとはまた別の意味で言っているつもりなんだけど、どう別なのかはっきりと言えないなあ。写真集の「写真」だって一度画像になって本にされているんだから僕らが見ているのは画像のはずなのに、それを「写真」として見るような意識があるからこの「写真」とアイコラの区別に拘ってしまうのかな。
 ところで写真批評の専門家さんていうのはどういうお勉強をなさっているんだろうか。端的に言ってすごく面白い写真集なのに全然その面白さを伝える言葉が出てこなくて困る。やっぱり歴史を抑えたりするところからはじめないとダメなものなのかなあ。北田暁大さんがどこかで今の学生は系譜だとかに拘らないて言ってたんだけど、それでみんなは不安にならないのかなあ、そのものがいいんだからいいじゃん、て僕は単純に思えない。教養はないけど教養主義は信奉しています。