『終戦のローレライ』(1)〜(4) 福井晴敏

終戦のローレライ(1) (講談社文庫)

終戦のローレライ(1) (講談社文庫)

終戦のローレライ(2) (講談社文庫)

終戦のローレライ(2) (講談社文庫)

終戦のローレライ(3) (講談社文庫)

終戦のローレライ(3) (講談社文庫)

終戦のローレライ(4) (講談社文庫)

終戦のローレライ(4) (講談社文庫)

 正規軍のはみ出し者たちが秘密兵器の回収と言う特殊任務に就かされる。厳しいが人間味のある上官、冷たい同盟国の外国人、型に縛られた士官、有能だけど閑職に置かれていた艦長に機転の利く副長、そして謎めいたカリスマ。そんな中で主人公の新兵は人間的に成長していく。当然、こっちがヤキモキするようなロマンスもある。
 福井晴敏作品は『Twelve Y.O.』しか読んだことなかったのだけど、この人の書く小説を読んでも新しい発見はないなあという印象は変わらなかった。確かにとても熱くなる小説ではあるのだけど、それはどれもがどこかで感じたことのある熱さだったりする。上に書いた話の内容は冗談のつもりで意図的にどこにでもありそうな話みたくしてみたのだけど、そうして書いたものが本当に話の内容とズレてしまわない辺りがこの作品の王道性を示していると思う。資本主義に毒されアメリカナイズされた日本がありうる、またはありえた未来として提示される(『五分後の世界』)とか、最強の潜水艦があれば傭兵として無敵というビジョン(まあ少し違うけど『沈黙の艦隊』)、世界を救える位置にいるのは俺たちだけだ…(正規軍のはみ出し者がその位置にいるというのは『ガンダム』だけど、そのシチュエーションのオリジナルがどこなのかなんてわからないくらい)、など。全てが過去の作品のコラージュってわけではないんだろうけど、どこもかしこも「王道」に見えてきてしまう。どこかにはあるのであろうこの人のオリジナルまでもがきっと僕の脳内で「王道」に変換されてしまってるのだろうなあ。ここまで期待を裏切らない小説を書けるというのは才能なんだろうけど。
 嫌な気分が残らない、サブキャラへのケアもかかさない、熱くなれる、などエンターテイメント小説としてはほとんど最強ではある、や、本当に面白かったんですよ。

 追記:この人の国家の憂い方って、『Twelve.Y.O.』の時も思ったんだけど、どうも本気じゃない。今の日本の姿を憂う作者がいて、だけど単純にその今の日本を否定もできなくて今の日本の姿をなんとか肯定しようとしている、という風に『終戦のローレライ』を読むことは可能だ。だけど、どこがとは言えないもののやっぱり、この人はなんかアニメとかマンガとかの設定のような「日本を憂う作者」を使って「現代日本を憂いつつ肯定する小説」書いている。村上龍とか小林よしのりとかは、それが良いか悪いかは別にして本当に本気なのはわかるんだけど、福井晴敏にはその本気さがない。別に日本じゃなくてジオンでも、自由惑星同盟でも、この人にとっては何でもいいんじゃないかと思う。amazonのレビューに「現代への強いメッセージ性がエンターティンメントを超越している」というのがあったけど、こういう感想を抱く読者の単純さ(悪い意味ではなく、無垢さと言ってもいいのだけど)には強い違和感を感じてしまう。