カオス

 「新潮」で連載してる「都築響一夜露死苦現代詩」については前にも書いたんだけど、点取り占いについてだとか、九州のどこだかの神社では性器がまつられていて、その神社に行く途中の道々には卑猥でありながら味のある歌が掲げられてるだとか、そういう面白そうなことが紹介されている。
 今僕は実家の大阪に帰ってきているのだけど、大阪には新世界という有名な地域がある、通天閣の周辺ということでいいのかな。その新世界並びにその近くの天王寺動物園一帯はどう表現すればいいのかわからないけど、一種のカオスめいた地域になっている。撤去させられたことで有名な青空カラオケがあったのもこの辺。今日は朝からその辺をぶらぶらしていたのだけど、動物園の近くに住んでいるホームレスの家の壁に面白そうな詩が書かれていたので、決死の覚悟で携帯電話で写メって逃げてきた。その写メを後からチェックしてみると、別に写メる必要もなければ逃げる必要もなく、どうやらそのダンボールの壁に展示されているそれは、その家の住人が販売している詩集からの抜粋だったらしい。そうと知っていれば買ってきたのに。まあその抜粋されていた詩から更に僕が独断で面白そうなものを選んで紹介してみる。「夜露死苦現代詩」読んでなかったらきっとこういうのスルーしてただろうなあ。では、句集「地球にねてる」より。

  • 大きな満月リヤカー空とぶ
    • 銀河鉄道999の1コマを想起させるこの歌は、しかしそのようなロマンティシズムに堕落することなく、空き缶や古紙などによって満たされたリヤカーによって僕たちを空想の世界と生々しいリアルとの狭間で不気味に宙吊りさせる。
  • あわてて死ぬことないそのうち死ぬ
  • 死ぬな生きろ生きろ生きろ
    • あまりに生々しいこれらの歌は死に向かって生きることを忘却している僕たち一般人への彼らからの警鐘だろうか。「死」の達観と過剰な生への執着は、「餓死凍死雨にうたれて衰弱死」という歌にも詠まれているように死と共に生きる彼らが自然と手に入れたものなのだろう。
  • おいあきらめるなよ大きな荷物を枕に道に寝て
  • 風邪ひいたこの雨で死んでやろうか
    • アンビバレントなこれらの歌は、しかしその矛盾によって彼らのおかれた境遇の辛さを僕たちに思わせずにはいられない。セカチューで泣き、恋人に振られてはリストカットな彼ら。お腹一杯の炊き出しを食べては泣き、雨に降られては死を思う彼ら。リアルを求める彼らと現実を生きる彼ら。僕たちはいったいどこへ行こうとしているのだろうか…。

 またこれらの詩が掲げられていた家の近所の家ではダンボールの壁一面を使って反戦が訴えられていた。インターネット上のブログ、BBSで飛び交う「戦争反対!」の文字、ディスプレイを叩き割れば消えてしまうそれらの言葉に比して、雨風に曝されてもなお訴えかける彼らの「NO! WAR! せんそう はんたい」の文字の如何に力強いことか!