『飲まず食わずのまま十日間筏で漂流し、国家の英雄として歓呼で迎えられ、美女たちのキスの雨を浴び、コマーシャルに出て金持ちになったが、やがて政府に睨まれ永久に忘れ去られることになった、ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)』 ガルシア=マルケス

 お金が本当にないときは、一週間くらい家でごろごろすることにしている、というよりは他にどうすることもできない。昼過ぎに起きて、沸騰させた水道水を冷やしたものを飲み、だらだらと読みかけの本を読んだりしながら気がつけば夜。また水を飲む。テレビを見たり無駄な時間を過ごしているうちに眠りについている。次に起きるのはまた、昼過ぎ。こんな生活を一週間も続ければ顔は本当にひどいものになっていて、髭は中途半端に伸びているし、頬はこけているし、どうしようもない。まあ僕がそんな顔つきになるまで耐えることができたのはその一週間目の午後に親から仕送りが送られてくることを知っていたからだ。僕は髭を剃り、シャワーを浴び、銀行でお金をおろして、焼肉を食べる。
 しかし仕送りがいつ送られてくるのかわからなければ?(当然、永遠に送られてこないという可能性も含まれる) 僕はおそらく5日目の夕方くらいには自暴自棄になって、近くのスーパーで万引き行為におよんだ挙句、万引きGメンにつかまって「すいません、はじめてなんです、悪気はなかったんです」なんて喚くことになる気がする。
 ガルシア=マルケス『飲まず食わずのまま十日間筏で漂流し、国家の英雄として歓呼で迎えられ、美女たちのキスの雨を浴び、コマーシャルに出て金持ちになったが、やがて政府に睨まれ永久に忘れ去られることになった、ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)』を僕は学校の近くの喫茶店でケーキを紅茶で押し流しながら読んだ。人の不幸を眺めながら自分が安全であることを確認するのはいつだって、楽しい。それがたとえ小説の中の話であっても。コロンビア海軍の駆逐艦から海に放り出されて、漂流を続け、助かった挙句の果てにタイトルのようなことになった男の話。遭難小説として特別面白いというわけではなかった(特別面白いわけではないけど、希望と落胆、消沈と復活などの描写はとても素晴らしい、漂流小説に必要な最大の要素は、いつ助かるかわからない、だろう、それがとても絶妙に書かれている)。ただ、この小説の面白さは別のところにあって、後書きを読めばわかるようにこの小説はフィクションなのか、それともノンフィクションなのかが曖昧となっている。一応はノンフィクションということで決着がついているみたいだけど、マルケスなら何かやっているんじゃないか…と思わせられる。小説外の部分で小説を評価するのは不当なことかもしれないけど、「マルケス」という固有名詞がそういう力を持ってるんだから、その名前を使ってこういう風に遊ぶのも悪くはないと思う。