アンドレ

 今日は少し遠出をしたので、電車の乗っている時間が長かった、電車の中で本を読んだりマンガを読むと集中できるのは僕だけだろうか。
 電車の中では吉野朔実『王様のDINNER』を読んだ。「王様のDINNER」、「TRISTAN」、「金色の落葉ふりしきる…」、「パピヨン・ロード」を収録。「王様のDINNER」と「TRISTAN」は海外が舞台、吉野朔実のマンガで海外が舞台って僕が読んだ中じゃ初めてだった、昔の少女マンガというイメージだな、海外が舞台って。『ベルサイユのバラ』の印象が強いだけだろうけど。
 収録作中では「TRISTAN」がダントツで面白かった。フランスが舞台で、お友達同士の絵描きさんアントワーヌと男爵さんコンラッドに絵描きのモデルの美しい少年トリスタンと、生きた芸術と呼ばれる美しい女性スタンランを加えた4人がメインキャスト。トリスタンの影を縁取っていく行動がなんとも。物の輪郭を取る、とコンラッドは表現しているけど、彼が取るのは常に影や反射した映像の縁だ、つまり、不安定なものを固定している、日付の署名入りでね。しかし自分の影=スタンランを見つけた彼はもはや「縁取り」の必要性を認めない。影は常に付き纏うものだから、スタンランは常にトリスタンの前に居なければならなくなる。実体化した動く影を前にしたトリスタンが、それを失う時狂気に陥るのはもはや必然と言わざるを得ない。物語を全体的に見ると、物語の冒頭に登場するアントワーヌが描いたトリスタンの絵の美しさと、物語の最後でのアントワーヌの台詞「失われてなお光彩を放つものはあるのだ」の対応が美しい。あの絵の中のトリスタンが天使と呼ばれていたという事実が全てを予言していたかのよう。天使は、それが存在しないから美しいし神々しい。マルケスが「大きな翼のある、ひどく年老いた男」で書いたのはそういうことだったはず。
 なんか新鮮な感想を残そうと思ったら適当なものになったけど、これはこれで僕にとっては何らかのヒントになるだろうから残しておく。