『斜陽』 太宰治

 太宰治『斜陽』を読み終わる。あの家族において貴族であったのは母と直治だけであるように思う。母はその優雅さにおいて、直治はそのプライドにおいて。その中でも僕は直治の「没落」方法に魅力を感じた。彼が酒を飲み麻薬を飲むのは階級差を乗り越えるためだった、そうすることで貴族と平民の境をとっぱらおうとしたのだろう。だけど、人に奢って貰うことを許せず、人に奢れなくなってしまったということで死を選ぶ直治が僕はすごく好きだ。平民の間に自らの居場所を作ろうとしたものの、やはりどこかで平民にはなり切れず死んで行く。「僕は、貴族です」と言い残してね。かず子は「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」なんて言い切ってしまえるあたりがキャラクターとしてすごく弱い。母は真から貴族であったがために葛藤なんて生まれようがなかったから弱い。上原に至っては一般庶民を貴族と同列に並べるなんて…!「道徳の過渡期」の犠牲者を書いた小説なのはわかってるんだけど、そんな風に読むよりは社会の過渡期の犠牲者として読んだ方が僕には面白かった。「道徳革命」の人柱になるべく上原はデカダンスな生活をして酒を飲んで、おそらく肝臓癌辺りで死んで、それが「貴い犠牲」なのか、こんなやつどこにでもいる気がするよ、それをリアルに書き出したからすごいのかな?でも、そんなのどうでもいいよ。母親はナチュラルに、直治はそれを否定できずに貴族として死んだ。それは社会の過渡期において「お金」がないという状況が生み出した死だ。彼らの自然さも葛藤も上原にはなんの関係もない。かず子は貴族というよりも女性として道徳に縛られているわけで、だから「恋と革命」だのなんだの言っちゃってるんだろうなあ、そんな恋愛小説は他で読むのでどうでもいいよ(葛藤の種類は違うだろうけど、本質的な大差はないと思う)。ただの酒飲みと恋する乙女には興味を持てない、貴族の2人に、乾杯。
 ところで、人に奢ってもらったときに居心地の悪さを感るって人はどれくらいの割合でいるのかな。僕は奢って奢ってというわりに実際に奢って貰うとなるとやっぱり居心地が悪くなっちゃうんだよね。友達にはわりとそういう人間がいるんだけど、やっぱり奢られて嬉しいみたいな人の方が多いのかなあ。僕は貴族でも金持ちでもなくて一般家庭に育った人間だけど、直治みたいな考え方がわからなくはないんだよね。周りが遊んでるのに一人勉強しているのはいや、とかね。貴族的か貴族的でないかというよりも気取ってるか気取ってないかって感じになるのかなあ、今だと。