『日蝕』 平野啓一郎

 今さら平野啓一郎日蝕』(新潮文庫)を読む。当時の史上最年少芥川賞受賞作。
 『薔薇の名前』と比較されている評をよく見かけるのだけど、異端審問の話にしても、『薔薇の名前』ではストーリーの本質に大きく関わっているのに対して、『日蝕』では文学的道具の一つに過ぎない。アンドロギュノス(両性具有)も然り。よくできた文学作品にはなってるけど、これを読んでほとんど何かを言いたい、という気にならない。アンドロギュノスの灰の中からレビス(錬金術において賢者の石の直接材料となるもの)らしきものが見つかるんだけど、レビスってのは男性/女性が昇華されることによって、それが得られるものとされてる。アンドロギュノスの灰からそれが得られるってのはまあわかりやすいよね、アンドロギュノスの射精は「結婚」が達成された象徴かあ、みたいな。一応これくらいのことは読めるんんだけど、巨人のセックスについてはさっぱりだった。
 その文学っぽさゲームとしては非常によくできている、完璧に近い。文体からその舞台まで。もうちょっと元気なときなら深読みゲームに参加したかもしれないけど、ちょっとそういう気分じゃないのさ…ベイベ。ちなみに完璧に近いって書いたのは、その文体がクライマックスのシーンでマイナスに作用してる気がしたの、アンドロギュノスが燃え上がって射精して日蝕のあのクライマックスですけど、あの文体と難解漢字のせいで勢いよく読めないからカタルシスが得られないのです。すごくもったいない、まあだからってあっこだけ文体を変えるわけにはいかないし、仕方のない損失なんだろうけど。
 メモとして…

ピエェルは、有らゆる金属の裡に黄金の実体的形相の生ずる可能性を信じていた。

 この部分はとても印象的だった、当然『歪曲王』の「歪曲王」を連想させるからだ。「歪曲王と錬金術」で何か書きたいなあという気になったので『日蝕』と『歪曲王』は夏休みもっかい読むぞリストに入れておこうと思う。