『ブロディーの報告書』 ボルヘス

 汚穢大明神エスティエルコル
 テストが近づくにつれ少しずつ本を読むペースが上がってきてる、これも いきものの サガ か。ブックオフボルヘスの『ブロディーの報告書』(鼓 直=訳 白水Uブックス)を買う。後書きを見たところ、『ブロディーの報告書』は『伝奇集』より20年くらい後に書かれた作品群らしい。読んでみると、確かに、僕の中での(そして『伝奇集』を読んだ人間が期待する)「ボルヘスらしさ」であるトリッキーさとかマジカルさがかなり薄い。すごく成熟した文章だと思う。『伝奇集』を読んだあとのような「こんなすげー小説書く人がいるんだ!」っていう直球の感動こそなかったけど、『ブロディーの報告書』の読後感も悪いものではなかった、じんわりくる感じ。まあこんな抽象的な感想ばっかり言っててもなんなので少しは内容にも。
 「じゃま者」、「めぐり合い」、「争い」、「別の争い」、「グアヤキル」。男と男、女と女、物と物、死人と死人、意地と意地…人と人とのやりとりがシンプルに、かつ緊張感をもって書かれた作品群だった。僕はラテンアメリカ人の気質なんてものを知らないから、ここに書かれたそれが実際のものかはわからないけど、すごくかっこいい。それがナイフとナイフのぶつかりあいだろうが、死後に死体が見せた意地だろうが、単なる会話だろうが、どのスタイルをとってもかっこいいんだ。「別の争い」における2人の女の静からな争いと、多分そこにあった静かな友情も。いろんな形の「ライバル」がここにある。
 「マルコ福音書」は、少し「ボルヘスらしさ」が出てるかもしれない。キリストになるエスピノーザ、キリストに釘を打つグトレ家の人間。聖書を語って聞かせることで、自らが犠牲者としてのキリストになてしまうという皮肉。「キリストはみずからの命を捨てて人類のすべてを救ったのか」っていう父親の台詞にこめられた、その単純な気持ちがすごく面白いよ。十字架と、キリストさえあれば救いは齎されるのか。