『競売ナンバー49の叫び』 トマス・ピンチョン

 トマス・ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』という小説を読んだ。ネットで調べたら(予想通り)ウンベルト・エーコフーコーの振り子』との類似を指摘する感じの人が結構いた。主人公が陰謀に巻き込まれていくのか、主人公が主体的に陰謀へと関わっていっているかは別として、いつの間にか周りには陰謀の破片が見え隠れしはじめ、気がついたときには周りには陰謀しかない状況になっていくという点で確かにこれらの二つの小説は似ていると思うし、当然っちゃ当然だけど。
 『競売ナンバー49の叫び』は主人公エディパが突然元彼、ピアス・インヴェラリティの遺言執行人に指名されるところからはじまる。そして、その遺産についての調査の途中で作中劇『急使の悲劇』を見ることになるんだけどその劇中で謎の言葉「トライステロ」と出会う。公的な郵便事業に対抗する地下郵便組織「トライステロ」。洒落の効いた偽造切手、消音機付の喇叭のマーク、「トライステロ」がエディパの周りに溢れかえる。『フーコーの振り子』と違うのは、この陰謀が「本物」なのか「悪戯」なのかが宙吊りにされたままだということ。ピアスがエディパにしかけた壮大なジョークなのかもしれない。宙吊りであること、の意味が僕にはわからない、テュールン-タクシス家(トゥルンって表記するのが一般的みたいだけど、作中の表記に従うことにする)にはじまり、いまや政府の独占事業となっている支配的な"制度"に抵抗する地下組織「トライステロ」。抑圧されしものによる抵抗の象徴、それが宙吊りでなければならないのはどうしてなんだろう?実はピンチョンが実際にそういう組織に属していて、内部からその存在を告発するために小説という形式を使ったから…?内ゲバの結果?その存在を、仄かに示さなければならないから?あるいは、あえてそういった機関をフィクションの形で書くことで真に存在するそれらの組織を隠すため?なんてね。