『死者たちの都市へ』 田中純

 小説についての感想ならある程度は恐れずに書けるんだけど、評論の感想はどうも書きづらい。最近読んだ中で特に面白かったのが田中純『死者たちの都市へ』っていうグラウンド・ゼロユダヤ絶滅収容所跡地の再開発をそこに残るトラウマなんかと絡めて論じたりなんかしている都市論と斎藤環『解離のポップ・スキル』っていう「解離」っていう病理現象を軸に村上春樹やら少年犯罪やら清涼院流水やらを批評した本。
 自分が単なる日記を書く場合のことを考えてもある程度は相手に正しい読み方を期待してる部分があるので、小説にしたってある程度は正しい読みをしなければならないんだろうとは思う。だけど小説の比喩とか象徴の解釈はある程度幅があるし、そこに甘えて最近は小説の感想を好き放題感想を書いてる、小説の誤読も存在するとは思っているけどその誤読の指摘の難しさはあると思う(僕はこう読んだんだ、が通用しやすい)しそこに甘えているわけ。一方、評論の感想を書くのは怖い。それはある程度の知識をベースに正しい読みをしていなければならないっていう強迫観念があるから。強迫観念じゃなくて、まあそれは事実そうじゃないと読んでる意味がないんだろうけど、暇つぶしに楽しんでいる分にはそういう読みをしていなくても本当に暇つぶしくらいの意味はある。だけどその感想は「正しい読み」があってのものじゃないと批判の対象にされる、僕は親にもあまり怒られたことがないし、甘やかされて育ってきたので人に怒られたり批判されたりするのが怖いのです…、だから、面白かったとだけ。


http://d.hatena.ne.jp/YLB/20040622
 あまり意識したことはなかったんですけど、ヨシモトさん(id:YLB)の仰られるように他のサイトでも評論より小説、もっと言えば小説よりマンガの感想が多いですね。感想の書きやすさもそうですけど、そもそも読む段階で、その読む対象の数がマンガ>小説>評論になっている気がします。ダイアラーの方で、評論の感想をデイリーにダイアるしてる方もいらっしゃいますけど、そういう人はすごいなあと思います。僕はマンガが大好きです。