今年はとても寂しいことがあった一方で少し良いことがたくさんあった。んー、ツリー型の人付き合いからリゾーム型の人付き合いになりました、それにしてもこんなベタな比喩を使ってしまっていいのか笑 実際はとても好きだった女の子にふられてしまい、はじけた生活を送っているというだけ。
 最近は時間の流れがとても速くて、寂しかったことすら吹き飛ばされてしまいそうなので、せめてそれは忘れないようにしないと。それにしてもこうもあっという間に1年が過ぎてしまうと、ちょっと勢いがつきすぎて時には老後のことにすら思いを巡らせてしまう。2ヶ月前*1日仏学院で観た『ジル・ドゥルーズによるアベセデール』のMでドゥルーズ老いること自体は悪いことではない、なんて言ってたっけ。老いという言葉にぴったりと貼り付いている貧困や痛みという言葉、これらは別問題だとドゥルーズは言う。確かに老いそのものを切り離してみたときに時間の余裕やそれに伴う自由の獲得は悪いものではないかもしれない。老いてすることが何もないなんていう日本人は傲慢だ、とも言っていた。時間だけが有り余ってたら僕も楽しい老後を過ごせるだろうし、結構楽しい想像を展開できたりする…書斎がある家に住んで日がな一日本を読んで過ごしたり、旅行に出かけたり…。だけど貧困や痛みが低くない確率で附随してしまう現実がある以上、やっぱりそんな想像は結構な確率で妄想にしか過ぎなくて、別の未来の僕は汚いアパートで孤独にテレビなんかを眺めてたりなんかもする。老い単独で考えるなんてのはやっぱり少し現実的じゃなくて、悪いものが附随する蓋然性が高い以上はそこを見つめないとダメだね。こんなことを言っていたドゥルーズにだって病は手を伸ばしてきたわけだし。えっと、何が話したかったのかよくわからなくなった。『アベセデール』はとても面白かったんだけど、老いがどうとか医者が嫌いだとかなんだとかエッセイぽい面白さがあった。もちろんそこにドゥルーズ固有の思考の破片を見出す人もいるんだろうけど、僕にはそれが出来なくて、繰り返しになるけど面白いエッセイを読んでいるような、そんな体験だった。今思い出せるのってドゥルーズの微弱な息や心音に計器が反応しなくて、それに医者が苛立つのが面白いだとか、医学と医者の権力を憎む→階級闘争!だとか、あと好物の脳/舌/骨髄を父/精霊/子に重ねていたり、って思い出せるまま書き出してみたけど、やなおっさんだなあ笑。

 寂しいことはあったけど、鎌倉に行ったり、海芝浦に行ったり…素敵なことも確かにあった。お付き合いしている人の誕生日ですら怪しくて、記念日なんて概念は勿論なく、ましてや遊んだのが何月何日のことだったのかはおろか、何月のことだったのか、季節がいつだったのかすら覚えていない僕にとって本当にはてなダイアリーは便利。日付を微分していった先に炸裂するクラッカーによる混乱を生み出す漫画を読んだけど、僕の日付感覚は積分されきってる*2。色々あって良い1年だったのかもね、とも思える。来年はもうちょっとガツガツした生き方をしてみたい、例えば「できる男」を目指してみたり!けど本屋で社会人向けの「できる男」を目指す本を見るとやっぱり鼻で笑ってしまうんだよね。

*1:そういえばもう2ヶ月も前か、素敵な本のお礼と感想を言おう言おうと思いながら言えないまま年末になってしまった。相変わらず僕は楽しかったのだけど、あまりゆっくりできなかったのが残念。来年はカラオケ行こうねカラオケ。

*2:確かに大傑作でした。個人的には法則を見つけようとする陰謀論者な彼の出てくる話がとても好きでした。11万年に1回の奇跡。