『戦争詩論 1910-1945』 瀬尾育生

戦争詩論

戦争詩論

  • 大逆事件による国内における体制/反体制への分解。
  • 韓国併合によって国民国家として発展してきた日本がその国民的な統合の枠を超えてあふれ出したこと。
  • 口語自由詩の出現。

 これらの事態が起こった1910年を、黒船襲来以来国民国家として形成されてきた日本が分解していき帝国主義化していくターニングポイントであるとして瀬尾は書き出している。これ以来日本的な抒情を批判し、世界性・技術性といったメタな視点に立ったモダニズム詩人、プロレタリア詩人が出現する。国民国家が解体していくなかで、各階級から脱落者が生まれ、脱落者達はその居場所のなさ、無規範性をこそその存在価値として、ナショナルな理念を超えた世界的地点に一挙に立った、と。そしてそのような脱落者、逸脱者達を国家が再統合していくために、国家自身が逸脱的な構造を持たなければならなかったという点を、軍隊を例に挙げていた点が読んでいて面白かった。指揮の本質に反しないのであれば指揮系統によらずとも自らの判断で臨機応変に攻撃していい、みたいなアンフォルムな論理。近代社会が成就したことのない日本において、モダニズム的主体は生活空間から遊離していた。純粋なハードウェアである詩に対して、天皇やら戦争やらそういう物がソフトとして差し出されたとしても、モダニズム詩人はモダニズム詩人のままであった、ってことかな。モダニズム詩人はモダニズム詩人でありながら戦争詩を書けたと。国民国家が解体していく中で、それを成立させてきた抒情に寄り添っていたのが初期朔太郎であり、だから国民国家が解体していく時に不気味な身体感覚を持った詩が書かれている。だけどこの「抒情」にしても戦時期には総動員体制の中では戦争詩に奉仕するものだったんじゃないのかな。


 国民国家が解体していく中で基盤を失い、世界性・技術性という立場に立って…っていうとミースを連想してしまう。ミースだって僕でも知ってるようないわゆるモダニズム建築ばっかり建ててたわけじゃないんだろうけど、同じ後発国のドイツの建築家だし自らの国においては得られない超越的な準拠点を求めた結果あの技術的な美しさを持った建築が生まれたんじゃないのかなみたいな。モダニズムというものが少なくとも日本においてどのように要請されたかってことを具体的な時代状況を背景に考える本として参考になった。これを平行移動して(あるいは少し変形を加えて)、ミースのこととか考えられたら楽しいかもしれない。