READINGS〈1〉建築の書物・都市の書物 (10+1 Series)

READINGS〈1〉建築の書物・都市の書物 (10+1 Series)

 朝何となく手元にあるこの本を手に取ると、森川嘉一郎AKIRAパトレイバーエヴァンゲリオンを都市計画と絡めて論じている2,3ページ程の短い文章に当たったので歯を磨きながら読む。これら3作品は建築雑誌なんかで取り上げられたのは、大規模都市計画が可能だった時代へのノスタルジーがあるからだとかなんとかそういう文章だったように思う。エヴァにおいて、使徒を撃退した後にビルが生えてくるあのシーンを、高度経済成長の早送りのように解釈していたところなんかは面白かった。一番馴染みがあるエヴァを例にすると、電柱の使い方だとか地軸のぶれによる常夏など、都市開発がどうこうと言った話を持ち出すまでもなく、ノスタルジーを喚起する描写は多い。だけどよく考えたらこれらの作品群においてノスタルジーを喚起するような道具に対して、実際に僕は思い出なんかを持っているわけじゃない。エヴァパトレイバーを介して、捩じれた形で架空のノスタルジーを消費している。その様な偽装がなされなければならないのは、端的に言って僕には思い出がないからであって、「思い出がない」という自体を隠蔽するためにエヴァを僕は要請しているのかもしれない。カーテンが必要なのは、カーテンの背後に何もないから、だ。

 最近眠れないからエヴァを借りてきてずっと見てたんだけど、やっぱり最後の方になってくると終わるのが嫌だなあって思っちゃうんだよね。これはまさに『デス博士の島その他の物語 (未来の文学)』に書かれていた問題と同一だろう。「デス博士の島その他の物語」では主人公のタッキーが読む作中作『デス博士の島』の登場人物がタッキーの生活世界に侵入してくる。読み進むに連れて、作中作中の新キャラが生活世界にも登場したりとまあある程度パラレルな展開を見せる。さて、本を読み終えそうな段になって、タッキーは読了を拒否する。本を読み終えてしまったら、現前した登場人物達が消えてしまうから、と。そこで現前した作中作の登場人物デス博士はこのように言う「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。ゴロも獣人も」。その後のデス博士の「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」という発言を踏まえると、作中作を包摂するタッキーの世界、そして更にそれを包摂する僕達の世界という構造を読み取ることができて、そういう技巧上の面白さもさることながら、やはりその前の発言によって読書の虚しさを書いた作品として素晴らしいと感じた。読書だけじゃなくて、映画でもまあなんでもいいけど、そういうものを体験する素晴らしさを書いているようで、しかしそこから先へはどこへも行けないという現実逃避としての読書のデッドエンドな感じを書いている気がしてならない。

 第9が鳴り始めた辺りで僕は「もうエヴァも終わっちゃうんだな」と不安にもなる。けどカヲルくんがこう呼びかける。「だけど、またDVDを最初から見始めれば、みんな帰ってくるんだよ」と。そしてまたサキエルが襲来する。使徒、襲来。