『イレイザーヘッド』

 作品内で現実と非-現実が撹乱されてしまい、途中からラジエーターの内/外を判断することを止めてしまった。基本的な筋のようなものは存在しており、印刷工のヘンリーがメアリーを孕ませてしまって、生まれてきた子供の世話をしている内に悪夢を見る。って感じだろう。
 しかしながら生まれてきた子供は奇形…というよりほとんど鳥の雛に近いモンスター。だけども、ヘンリーとメアリーはまるで普通の赤ちゃんを世話するかのように振舞っている。いや、振舞っているというのは観ている僕の判断基準によるエゴイスティックな物言いであって、映像内ではあくまで奇形の赤ちゃんは普通の赤ちゃんなんだ。そのことで、赤ちゃんの奇形性は増幅されて、赤ちゃんの映像=カットの不気味さは極めて大きなものとなる。
 また、ヘンリーは先に書いたラジエーターを覗き込むことで、ラジエーター内で歌を歌うほっぺたに瘤のついた謎の女を見るんだけど、その瘤にも全く理由付けがなく、映像としての不気味さは相当なものだ。
 他にも細かい点で言えば、赤ちゃんの夜泣きにうんざりしてメアリー実家に帰ろうとするシーンで、メアリーがベッドの下から自分の鞄を引き出そうとするんだけど、メアリーの行動の理由(つまり鞄を引き出すため)が明らかにされるのは数秒続くメアリーの「屈んでベッドを揺らしている奇妙な行動」の結果として鞄が登場してからで、その前の数秒間の映像の不気味さは相当なものだった。

 その奇妙さの無意味性とともに、使われている音楽が映像と合っていない(これも自分の感覚に引き寄せたエゴイスティックな物言いだな)ことも、奇妙に映像部分だけが浮き上がってくる一因だろう。この点、『リリイ・シュシュのすべて』と同じような印象を受けた。映像そのものを浮き立たせるためには、音楽と映像の一致よりも、音楽と映像の不一致による方が効果的なのかなあ、うーん。