『法の力』

法の他者 (叢書・アレテイア)

法の他者 (叢書・アレテイア)

 ちょっと長くなるけど、『法の力』を読んだときに思った疑問点がそのままこの本のあとがきに書かれていたので引用しておく。

 法学部における法哲学というものがどうしても、現実の裁判・司法制度の中で行われている「解釈」をベースにしながら「法」の本質を探るという姿勢を取らねばならないのに対して、ポスト構造主義現代思想が問題にしているのは、「主体」の"存在"を必然的に拘束している「法」-ラカン風に言えば、「父の名=否」によって介入してくる「象徴界」の法則-の哲学的意味である。-中略-「デリダの『法の力』や『マルクスの亡霊たち』を読むことが、判例評釈の役に立ちますか?」、と聞かれたら「直接には無理でしょうね」、と答えざるを得ない。

 まさに今僕は判例を参照しながら行政法のレポートを書いているわけだけど、『法の力』なんて1mm単位で何の役にも立たない。塩野宏先生の『行政法I』に比べれば『法の力』なんて単なるエッセーに近い感じすらする。「思想」と「実践」の乖離なんてほど生易しいレベルの隔たりではない気がするんだけどね。レポートに「あたかも、つきつめてみると掟など前もって現実に存在していないかのように裁判官は決断しなければならない。」なんて書いたら単なるギャグにしかならないなあ。