『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』 森川嘉一郎

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

 飛行機や戦闘機のペインティングの変化や、サティアン建築、万博、アニメの設定なんかに触れながら、秋葉原という都市がどのようにああいう風に(一言で言えばおたくの街に)変化して言ったかを書いた評論。かつては電気街として新しい生活という夢を売っていた秋葉原は今やおたくの個室部屋がそのまま都市になってしまったような外観を呈するようになった、と著者は述べている。
 森美術館でやっているアーキラボ展に行ってきたのだけど、素人目に見ても、もはや現代の建築にはなんというか夢がない感じがして面白くなかった。日本で言うと、丹下健三の「東京計画1960」なんかが大きな夢を見ていた、そして見させてくれた最後の計画だった気がする。著者も触れていたけども、アニメとかマンガの設定に「東京計画1960」が引用されているのはもはや参照すべき未来が、他には提示されていないからなんじゃないかなあと思った。技術的な進歩だとか、思想的な洗練によって、建築もどこかに進化していっているのかもしれないけど、それは決して大きな方向性があるものではないんだなあと感じた。「東京計画1960」が誘う憧憬は一体なんなんだろう。もし学生運動の時代に生まれていたら僕はそこにのめりこんでいただろうし、自分の中の空虚を埋めるためにUC年表だったり、エヴァンゲリオンの設定を使ったりしなくてもよかったんだろうな、と思う。もっともっと、「世界」に参加したいけど、そういうのが可能な時代でも、可能だと考えることすら出来る時代でもないんだなあ。
 話がバカみたいに逸れちゃった。最後の方で著者が触れていた大阪の電気街日本橋について、少し。久し振りに実家に帰って日本橋に行ってみたときに、その秋葉原化に驚いたのはよく覚えている。僕も子供の頃には新しいゲーム機や、新しいパソコン、新しいCDコンポに、MDウォークマンみたいなものを日本橋に買いに行ったものだけど、なんというか、親子でにこにこお買い物、という街ではなくなっていたような気がした。その地位は大阪駅前の「ヨドバシカメラ」に奪取されてしまったと言える気がする。著者は、大阪日本橋においては秋葉原化はそこまで進行していないし、電気街と趣都の中間的位置を与えていたけども、「ヨドバシカメラ」の出現はきっと、大阪日本橋が趣都化、秋葉原化を加速させるに違いないと思う。