『二〇世紀精神病理学史』 渡辺哲夫、『僕の叔父さん網野善彦』 中沢新一

 精神分析医である筆者が如何に「精神病理学」が失敗してきたかを述べた本。ヤスパースフロイトが共に精神病理学を<歴史不在>の学問にしてしまったと述べるものの、しかしその2人の中に可能性を見出そうとする点において、プラトンを読み直し形而上学脱構築しようとするデリダの試みに近いものが感じられる。筆者の文章は『知覚の呪縛』や『死と狂気』でもそうだったけど、同じことを繰り返し繰り返し語るので、とてもわかりやすい。それをしつこいと感じる人もいるのだろうけど。
 <力としての歴史>に依拠する人間はその歴史への依存ができなくなったときに狂気に陥る。しかし、狂気を扱う学問である「精神病理学」は根本的に歴史感覚が不在の学問としてスタートしてしまった。渡辺哲夫は精神病理学に失望しつつ、失望仕切れないようなところが見えて、苦しそうだ。

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)

 立ち読みで読みきったんだけど、最後のページで思わず本当に泣きそうになってしまった。網野善彦が死んだ後でこの本が出版されてるのを知った人は「中沢新一もここまでして本売りたいのか…」なんて風に思ったと僕は信じているし、僕自身もそうだった。
 だけど、本を実際に読むと、そう思っいてた自分自身が本当に恥ずかしくなった…。哲学者の中沢新一が、歴史学者であり、中沢新一の叔父である網野善彦との思い出を綴った本。『精霊の王』を読んだあとでこの本を読むと、あの本は2人の最後を繋いだ本なんだなとなんだか僕まで感慨にふけってしまった。最後の2人のやり取りは本当に、涙が零れてくる。いつもはわりと凝った装丁で、レトリックに満ちた文章を書いている中沢新一が新書というシンプルなメディアにストレートな文章で書いているのもまた、良い。
 (なんか心情的によかった、ってだけなイメージで伝わっちゃいそうだけどそんなことはない。学者一家の家系だから、家族のことについて書くことで必然的に色々な問題にも触れることになっちゃうみたい。だけど、僕はただこの2人の人間関係がやっぱりすごく素敵だったんだな、ということを言いたい)
 (id:kebabtaroさん(リファとかしてしまってすいません!)の所で紹介されていたから読んでみる気になったのだけど、この本に対しての最初の印象から感動するところまでほとんど一緒でなんだかわーって思いました!)