クリスマスイヴに相応しい本といえば、教会で神父を汚し、聖櫃に放尿する、
バタイユ『
眼球譚』だと思う。あまりに直接的な性描写はまるで肉体を物として扱っているようで、
山本直樹に近い感じがする。ただ、
山本直樹の性描写はほとんどがそのシチュエーションや行為のヴァリエーションの特殊性と卓越性ということで言えてしまうけど(つまりカタログでも見るように簡単に楽しめる)、
バタイユのそれは、今の僕たちには少し理解しづらい背景があると思う。教会で神父を汚し、聖櫃に放尿なんて
山本直樹が書けば単なるシチュエーションの1つとして書かれるにすぎないだろうけど、
バタイユが書くとそれはタブーとタブー侵犯という問題に発展する。
キリシタンから
無神論者になった
バタイユだけど、あるいはそれだからこそ、
キリスト教の聖性に対するタブーはきわめて強いものだったんだろうと思う。だからこそ、それを侵すときの快感はとても、大きい。僕は信仰なんてのを持ち合わせていないので、こういうタブーがあまり理解できない。きっと近親相姦だって、食人だってみんなそれなりに消費してしまうんじゃないか。タブーが存在しないからこそ、セックスもそのバリエーションが極端に増大していってるんだろうなあと思う。単なる消費に過ぎないから、そこに満足することができなくてどんどん新しいところへ移っていくしかない、みたいな。