「東京タワー」 中沢新一

 難しい単語ペニンスラ
「東京タワー」 中沢新一(「群像」2005年1月号)
 中沢新一は小学生の時に東京タワーのまわりの土地の雰囲気に「死霊の気配」を感じたらしい。東京タワーの立つ増上寺裏の土地はかつて古代遺跡であり、死霊の集う土地であったことを、最近中沢は知り納得する。東京タワーの立っている土地はかつて、大きな半島だったらしい。あの辺の土地が半島だったかどうかは別として、昔と地形が変わったことを自然に納得できるのはきっと『ドラえもん のび太の日本誕生』のおかげだと思う。縄文人たちはものごとの境界を「サッ」と呼び、そういう土地に重要な価値を与えていたらしい。「ミサキ」だとか「サカイ」もその派生語なんだって。大きな海に面した土地が「どこか」へ繋がっているという感覚は理解できる。大きな山の麓なんかもきっとそうだったんじゃないかな。で、縄文人はそういう「サッ」にお墓だか古墳だかを作ったんだ。そしてそこに集められた死霊を感じることができたわけだね。今、僕がお墓だとかいう土地に対してなんらかの感情を覚えるのは、そこがお墓だからであって、その土地に対する畏敬の念だとかを感じているからじゃない。土地に対する感情があって、そこがお墓になってるのとはぜんぜん違うなあ。お墓に限らずある土地から「死霊の気配」なんて感じたことない。宗教的なものに対する感受性がゼロ。
 まあそれはおいて、朝鮮戦争で廃棄処分になった戦車を解体して手に入った鉄材で世界一の電波等を立てようぜ!っていうアイデアが実現されたのが東京タワーらしい。第一候補地が上野で、そこが無理だったから芝になったらしいんだけど、上野もまた半島だったんだって。中沢先生は「日本人の心の深層で働く無意識の思考を、感じとることができる」らしい。でまあ当時世界一の電波塔だったエッフェル塔は「いと高きところにいまします超越者」と地を繋ぐ橋だけど、東京タワーは超越者と地を繋ぐにしても天空でも海のかなたでも地下でもいいけど要するに死霊の王国へと向かうアンテナとしての橋なんだって。
 感覚的な文章だけど、僕は感覚的な文章が好きなのでこのたった4ページの短い文章が面白かった。境界に対する霊的宗教的な感覚は持ち合わせていないけど、「校区」と「校区」を跨ぐ橋に対してなんだか不思議な感情を抱いていた。別に橋に限らず、商店街の入り口にも、ある横断歩道にすらもなにか聖なる位置にしていた気がする(大げさなのは承知だけどね)。半島から望む大海と、校区の境界線から望む外部は、同じものだと思う(中沢先生とは感覚を共有できないけど、縄文人とは共有できるということです)。境界ってのは考えると面白いなあ。空間的境界だけじゃなくて、時間的境界もある。小学校低学年まで僕は夜8時には寝ないとダメだったんだけど、旅行だとかなんだかで夜中に起きているときは、本当に不思議な感じがしたよ。ああいう高揚感と宗教的高揚感は同質ものなんだろうか。