さらに言えば

 写真だけじゃなくて、文章でもそういうものを感じさせるものはいくつかある。理由は、よくわからない。ブギーポップシリーズを読んでいるときとか、似たような感情が起こってくる。上では『花火』の捏造と、『廃墟ノスタルジア』の捏造を同じように扱ってしまったけど、多少その性格が違うんじゃないかってのを意識しながらも今回はそれを無視した。『花火』的捏造は、ただ僕の青春が貧しかったためにそれを補おうと僕の防衛本能が働いているだけなのではないかと思う。僕は自分の中高生時代の空虚さに時々本当に狂ってしまいそうになるので、大袈裟な表現をしているつもりはない。ブギーポップシリーズのそれも、『花火』のそれに近い、友情と恋愛が1ナノメートルも存在しなきかった。それも僕にとっては、とても重要な問題なんだけど、今気になっているのは『廃墟ノスタルジア』的な捏造の方だ。これはともすれば、人類が一般的に深層意識に持っている…なんていうトンデモっぽい結論に持っていってしまう危険を秘めている(当然僕にとっての危険)。考えてまともな結論が出る気はしないけど、もうちょっと色々考えてみたい。誰でもいいからヒントとか思いついたら、適当でもいいので僕に教えてください、ね。