『死者たちの都市へ』 田中純

 田中純『死者たちの都市へ』青土社、を軽く再読。僕はこの人のこと知らなかったんだけど、暇なときにジャケ買いしたら面白かったんだよね。都市表象分析ということをやってるらしいんだけど、よくわからない、字面通りにとればいいのかな?
 この本は論稿集なんだけど、基本的にはどの文章においても現代において死者は弔いきれてない、ということを言ってる。田中の主張が一番理解しやすい形で語られてるのは建築家ダニエル・リベスキントのWTC跡地開発計画とザクセンハウゼン強制収容所に隣接した旧ナチ親衛隊施設跡地開発計画への態度の差異を指摘する論だろう。
 リベスキントはザクセンハウゼンにおいてトラウマ的な建築物を破壊してしまうのではなく、水没させて廃墟化の過程を視覚化しようとする。歴史的なコンテクストを破壊してしまうのではなくそれを残し、また読みえない「絶対的非文字」として「希望の刻み目」といった楔を親衛隊施設跡地に打ち込むことによって、過去と現在、未来を接木しようとする。トラウマを単純に隠蔽しないことで、トラウマを克服することを試みている、と。
 一方、WTC跡地開発計画では、リベスキントはいささか性急に死者を英雄化してしまい、象徴的な建物を建てることでトラウマと時間をかけて向かいあうことを放棄している。
 とても単純に言えばこういうことで、後者に見られるような問題点が他にも、靖国問題とかに見られるってことを言いたいのね。それが現実にどうかは別としてイメージ的にはとても理解しやすいし、納得もしやすい論旨だとは思う。「あんまり焦らないでゆっくりと思い出にしていけばいいよ…」って失恋した人に言うのはなんか思慮深い感じがする一方「ほらほら!早く忘れて新しい彼女つくって元気だしなよ!」的アドバイスがいささか単純でバカっぽく聞こえてしまう感じ。ただ、僕が思うのはいかなるアドバイスもその当人の態度を変えることなんてほとんどできないのね、「そうだね、ありがとう」って答えるかもしれないけど、ウジウジ悩むタイプの人間はウジウジ悩んだままだし、そういわれて元気になるようなやつならもともと元気なんだよ。確かに日本においては靖国問題は未だに解決されてない、国内における大きな問題の1つとして残ってる。だけどアメリカにおいてこういう性急な解決がなんか問題になってるのかな?
 田中は「焦らないでゆっくりと思い出に…」派の人なんだろう。その立場から見たら今のアメリカのWTC跡地開発計画がなんとなくチープなものに見えちゃってるんだろうね。だけどそれは、こういう単純な言い方は好きじゃないんだけど、お国柄の問題じゃないのかなあ。えっと、国民の性格分析→都市の性格分析になってるのかな。ナイーブな都市と、シンプルな都市。結局はそういう違いがあるってことを指摘したに過ぎない気はするよ。ナイーブな都市の方が確かに頭良さそうだけど、シンプルな都市だって悪いところばっかりじゃないと思うんだ…あいつにだっていいところはあるよ。
 あと、1つ気になったことを。田中はジョルジョ・アガンベンという人(僕は名前しか知らない人です)が使っている「ホモ・サケル」とか「剥き出しの生」とかいう概念を援用して、自然的生命のほかに呪われた/聖なる生命があるんだけど、呪われた/聖なる生命の方をうまく弔えてないからダメなんじゃね?っていうことを言うのね。死者を本当に死なせるためにはちゃんと二重に弔わないとだめで、靖国とかなんとかの問題はその「喪の失敗」のせいだっていうわけ。これもイメージ的には理解できる。ただ二重葬儀とかはわりと昔の人類学的な概念だったはず。別に昔の概念だから間違ってるなんていうつもりもないけど、「死」に対するイメージが昔の概念を適用できるほど絶対的なものでなければならないのか?っていう疑問は残った。