『十九歳の地図』 中上健次 河出文庫

 「一番はじめの出来事」は<秘密>云々について語ってもしょうがないと思う。僕も普通の子供だったのでいくつかの箇所に<秘密>を作ってきた。そんなものに意味はない、作る行為だけがあるんだ。問題はむしろその周りで展開されるマイノリティ間のコミュニケーションだと思う。(作者の出自から想像するに)部落の康二と秀、朝鮮人の白河、狂人たる輪三郎。康二と秀の、白河に対する態度の違いが一番興味深い。秀は朝鮮人を嘲るような歌を歌うことに躊躇いを覚えないが、康二は歌を歌うことに逡巡を覚える。康二は自らがマイノリティたることを自覚しており、他のマイノリティーグループに属する白河への感情がアンヴィヴァレントなものとなっているんだろう。秀は、いまだに「子供」のままであって白河くんへは純粋な悪意を向けているだけなのか、それとも自覚しつつその自らの出自への嫌悪感を白河くんへと向けているのか、その辺は難しいなあ。「十九歳の地図」は金銭、頭脳、性欲などのコンプレックスの対象を一度かさぶただらけのマリア(九万八千円と淫売という呼称がその象徴か)へと託したものの当然のことながらその試みは失敗に終わる。地図への×、公衆電話での脅迫も、金銭的に裕福な人間や性欲を感じさせる夫婦喧嘩へと向けられるもののコンプレックスへの解消へは繋がらない。よって、駅員の疑問「なぜ任意なのか…」の答えは、理由を伴った対象化の戦略が全て失敗に終わった以上、なんらかの理由を持って対象を見つけることを放棄したから、ではないか。