『ランボー全詩集』アルチュール・ランボー 宇佐美斉訳 ちくま文庫

 『ランボー全詩集』アルチュール・ランボー 宇佐美斉訳 ちくま文庫
 「地獄の季節」の中でも自分の詩を自分で批評している「錯乱 II」の訳者の解説の要点は「記憶する声」と「記憶される声」との交錯、「排除-包摂」の運動が人間的時間に帰着し「錯乱 II」の語り手を「時間」と化した純粋精神として理解させる、ということだ。これは個性を否定し、客観的視点、集団的想像力を志向したランボーの戦略的実践として見ることができる。「錯乱 I」の地獄の夫と狂気の処女をヴェルレーヌランボーに比する解釈は訳者によって作品の矮小化だとされているが、奇妙なダイアローグとして純粋に楽しむことによって逆説的に個性の否定を志向したランボーの実践をそこに見ることができるのではないか。ランボーヴェルレーヌを王子と処女としてみないとき、単なる奇妙なダイアローグとして見たとき、はじめて、個性を没しようとしたランボーの個性が立ち現れてくるのは皮肉なことだと思うけど。