麻雀だけが

このEカードは、まじりっけなしで本当の意味で心と心の会話なのだ。この会話の純粋さ真実さに比べれば、日常での友との会話など、全部嘘ばかりだ。このEカードは違う。言葉一つ発せずとも真剣だ。ギャンブルこそ国籍・年齢・貧富の差・性別。そういうあらゆる垣根をあっさり乗り越え語り合える。共通の言語なのだ

 ここ最近、いつも読んでいるブログの記事で片山まさゆきが取り上げられていて、僕も久しぶりに読みたくなり家にあるマージャン漫画を読み返していた。『哭きの竜』、『むこうぶち』、『ノーマーク爆牌党』、『牌賊!オカルティ』、『バード 砂漠の勝負師』、そして『リスキーエッジ』と福本作品。こう色々読んでみると、麻雀の本質に迫る漫画としては片山まさゆきのそれが出色のものであると思わされる。『ノーマーク爆牌党』における「爆牌」ならびに『牌賊!オカルティ』における「バカルト」は、対戦相手が本来他者であるという当然の事実を我々に思い出させてくれる。『牌賊!オカルティ』はデジタルクルーズのリーダー梨積港の挫折の物語として読むことができるだろう。彼の目的とは対局者全員がデジタルな麻雀を打つことによって、他者が排除された空間を作り出し、その場におけるデジタル思考の優位でもって頂点に君臨しようというものだ。しかし眉椿のバカルト、朧のバカ、群鴎のオカルトという異物、他者の侵入によって彼の野望は打倒される。また『ノーマーク爆牌党』では、登場人物にとってはもちろん、我々にも、そして作者によってすらも近寄りがたい他者たる爆岡を前にしてそれでも尚、彼を理解しようとするほとんど涙ぐましい努力がなされることになる。鉄壁が一人牌を並べて爆岡の秘密を暴こうと努力する様をこそ、真の意味でのコミュニケーションと呼ぶべきだろう。ネット麻雀がつまらないというのはお金がかかっていないからではなく、未だ我々の想像力がモニタを越えては機能しないという事実を示しているにすぎない。ネット麻雀でなくても、巷の麻雀でなされる会話だって、そして僕の発する言葉、打つ牌も全て嘘ばかりだ。分かり合うことの不可能性を前に、それでも尚、会話を。

 利根川先生はイカサマをしていたけどまあ良いことは言ってるよね。ちなみにマージャン漫画においてイカサマをしていてなお、「心と心の会話」がなされるマンガとして『バード 砂漠の魔術師』を挙げることができる。全自動卓における天和という不可能を巡ってなされる麻雀対決。