だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。ゴロも獣人も

 (近頃火種の)Perfumeの「エレクトロ・ワールド」を狂ったようにリピートで聴いてる。最近各所でPerfumeの固有性を論点として議論が展開されていた。たしかに、この曲を巷に溢れるたくさんの曲から差異化する点を見出すのは難しい。だけど「エレクトロ・ワールド」はその薄っぺらさが逆説的に強く機能するような歌詞を伴っている。「エレクトロ・ワールド」では電子的な世界のリアリティの無さがノリだけはいいけど平板な曲に乗せられた匿名的なヴォーカルによって歌われる。ヴォーカルの代替可能性を指摘し、何を愛しているのか?と問う態度は音楽に対してとても真摯なものだけど、そのヴォーカルの代替可能性はこの曲にとっては必要条件だ。それでこそリアリティのないエレクトロ・ワールドを歌うことができるんだから。この曲は文字通りにとても平板で、それは匿名的なヴォーカルと共にここで歌われるリアリティのないエレクトロワールド、ついには消え去ってしまう世界にべったりと寄り添っている。
 さて、この曲が持つ魅力はそれだけによるものではない。冒頭に引用したのはいつだったかのエントリでも書いたジーン・ウルフの小説「デス博士の島その他の物語」の一節で、主人公の少年が作中作の本を読了することを拒否した場面で、作中作中のデス博士という人物が主人公に言うセリフ。本を読み終わる、音楽を聴き終わるという体験は、1つの世界が終わってしまうということを意味する、だけどデス博士の言うとおり僕らは本をもう1度開くことや、再生ボタンをもう1回押すだけでただちにその世界を新たに呼び戻すことができる。そしてそういう性格とこの曲はとても親和性が高い。

あああ もうすぐ 消える エレクトロワールド

 消え去ったエレクトロワールドは、リピート機能によってほんの数秒後に違和感を感じさせることなく立ち上がる。1つの世界が崩壊してまた立ち上がってしまうというその安っぽさ。ちょっと苦笑いの1つも浮かべたくなるけど、その安っぽさこそが中毒性の源になってる気がする。あー今日も働いてる時以外はずっとエアーマンが倒せない魔理沙とエレクトロ・ワールド聴いてたな。