物体


 NAMURA ART MEETING '04-'34 vol.02「起程I」に行ってきた。23時前に着いたんだけど、辺りの製鋼所やらの工場群はまだ光を放っててそれが金属に反射して美しい光景。近くまで行ってみたいねなんて友達と話しながら敷地内でお酒を飲んだり煙草を吸ったりしながらだらだら近況報告会。お目当てのクラブイベントが始まったからダラダラと会場に行ってみる、トトロのリミックスがかっこよかった。この時は意外とテンションが高くてはしゃいでたんだけどだんだん疲れてくる。お目当てのレイ・ハラカミタイムがやってきたときにはほとんど元気がなくて座り込んでた、もうあと一歩で寝る寸前のところを彷徨う(眠いときに聴くハラカミさんはそりゃあとても効くよね、逆方向に)。
 んで、ふとさっき行ってた工場へ本気で行きたくなったので友達と連れ立って眠気を振り払い会場の外へ。あてもなく2,30分無人の小規模工場街をドリフト。すれ違うのは野良犬くらい、立ち止まって睨んでくるところがちょっとサマになってた。「俺たちとあの野良犬、一体どこが違うっていうんだろうな」とか適当にハードボイルドなことを言ってみるも友人には失笑されて終わり、残念。
 ドリフト中、王兵の『鉄西区』のことを思い出したりする。実は第3部しか観てないんだけどこういう小規模の工場なんかを見てると勝手に労働者の生活なんかを想像しちゃう、いや、本当に余計なお世話だけどさ。あの映画も、薄暗い中を走る鉄道とか、雪の映像が時々とても美しいんだけど、そこで映し出される生活はとても悲惨。もちろん、とてもとても小さくて汚い部屋に押し込められるように置かれたベッドの上でそれまで無表情で反応も示さなかった子から父への愛が涙と共に曝されることで、悲惨さ以外のものもあることをカメラが映し出していることを忘れているわけではない。悲惨さは悲惨さとしてそれは確かに存在するし、それこそが主要な問題点なんだろうけど、それとは別に、ここにも(こういってよければ)愛があるんだということは忘れちゃだめだ。退屈さを抱きしめながら捨象しない勇気が見せるもの。
 それはさておき、適当に見つけた入りやすそうな工場の中に入ってみる。辺りを見渡せそうなポイントを求めて駐車場らしき坂を上る。そこから見えた非人間的なスケールのクレーン、金属で組み上げられた構造体、微かに光を反射する黒く小さい川。同じ光景を太陽の下で見たってきっとそんな存在感はないだろう、今更だけど夜の力はすごい。伊達に恥ずかしい手紙を書かせたりする力を持ってるだけのことはある。意味も機能も剥がれ落ちた光景は非現実的で、夢だったと言われたらそうだったのかもしれないと納得してしまいそうな気がする。帰ってきて会場前で売ってたホットドッグ*1を食べる。全米一のソーセージを使ってるらしい、それはそれとして美味しかった。冷たいお茶とホットドッグのマスタードで現実におかえりなさい。


 写真は、2日目にピアノ演奏やら対談やらを聴きに言ったときに会場近くで撮った工場。夜だから気づかなかったけどなにもこんなに可愛くしなくてもね、けどやっぱりちょっと好きかも。

*1:id:ryu46:20070902さんの日記にまさにそのホットドッグ屋さんの写真が!不躾なリンクでごめんなさい。