「ドイツ写真の現在―かわりゆく「現実」と向かいあうために」

 時間が出来たので「ドイツ写真の現在―かわりゆく「現実」と向かいあうために」に行ってきた。
 ハンス=クリスティアン・シンクの「ドイツ統一交通プロジェクト」がとてもよかった。シンクもそうだし、あとアンドレアス・グルスキーもそうだけど、大判のプリントに弱いのかもしれない…(頭悪そうだなあ)。
 「ドイツ統一交通プロジェクト」はドイツ政府によって設立され、東西ドイツ並びに西ヨーロッパを結ぶことを目的とした交通プロジェクトの写真を撮った約250点からなるシリーズで、今回はこのうち3点が出品されていた。このプロジェクトはシンクが親しんだ風景を変容させてしまったけど、だからと言って単純に否定的な意味でこのシリーズが撮られているわけではない。シンクが語るところによれば彼もこのプロジェクトによって出来た物で生活が便利になってるんだから単純にそれを否定することができない、とのこと。これらの写真というかこれらの写真の動機にはそのようなアンビバレントな感情が潜んでいる。けれどこれらの写真にはそのような感情は伺えない、人が排されたこの巨大な構築物は単にその無時間性と巨大さがその崇高性でもって観るものを圧倒するだけだ。
 グルスキーの写真が、「香港証券取引所」のように資本主義的メカニズムが作り出したある場と、そこに蠢く部品のような人間を同じような大判のプリントで提示したとき、そこで場と部品の差異がある程度捨象されて香港証券取引所、という1つの構造物のように感じられなくはない。けど、そのように抽象度が高められているとはいえやっぱり、それは構造物を捉えたというよりは風俗画のようなものであるように思う。他の出品作「大阪」については少しびっくりした、というのもこの写真に写っているこのゴルフの打ちっぱなし場は僕の記憶に間違いがなければ何度か父親に連れて行ってもらったことがある気がするから。まあゴルフの打ちっぱなし場なんて似たようなもんだし、後ろのマンションに見覚えがあるって言ってもマンションなんてだいたい同じような作りだから違うかもしれないけど、大阪という土地とうちっぱなし場、この曇り空はどうも当時のことを思い起こさせるには十分だ。子供の頃からのお土産のようで、なんとなくキッチュな感じだなー、まあそんな風に受け取るのは僕だけなんだろうけど。

 追記:シンクの「ドイツ統一交通プロジェクト」はここで見られる。