「鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」

 『鋼の錬金術師』を僕に教えてくれたid:amnさんと台風が接近する中見に行ってきました。
 正直、クオリティがとんでもなく高い作品だった。単なるアニメ作品の劇場版だと思って舐めてた(僕たちが想像していたのは本編とはまったく関わりがなくストーリーが展開されるいわゆるジャンプ系劇場作品)。以下ネタバレとか意識しないで書く。
 本作品では錬金術世界と現実世界がゲートを介してつながっているという世界の構造が主軸になっている。人体練成のときに出現するあのゲートは(錬金術世界からすると)現実世界へと繋がるゲートだったというわけ。アニメ版ハガレン最終話の後、エド第一次世界大戦後のドイツに来ていた。おそらくこの舞台設定を選んだのは、この時期のドイツにおける国なき民(ユダヤ人とジプシー)とエドワード・エルリックを重ね合わせるためだろう。元居た世界とは違った世界へと来ているエドもまた、国を持たぬ民なのだ。そのような中で錬金術世界ではアルフォンスが兄を求めて、また現実世界の方でもトゥーレ協会が錬金術世界の力を求めてゲートを開こうとする(トゥーレ協会に関してはナチスに影響を与えたオカルト結社ってことくらいしか知らなかったから今度何かで調べてみよう)。
 さて、アルが個人的なそして悪意のない目的でゲートを開こうとしたことで、現実世界側の悪意を持った人間がゲートを開くことを手助けしたことになってしまい、結果的に錬金術世界と現実世界の間に戦争状態を引き起こしてしまう。その結果錬金術世界の一般市民にも死者が出、それを目撃したアルは恐慌状態に陥りそうになる、そこでエドはアルが悪いわけではないが、責任は負おうと言う。このシーンは製作者のメッセージが一番明確に伝えられている部分ではないだろうか。そのような戦争観を補強するのが、原作でも人気の高いヒューズが国家社会主義ドイツ労働者党/ナチスに入党しており、ミュンヘン一揆に参加しているということだろう。ヒューズは人気の高いキャラであったが実際にその心情が語られているシーンは皆無といってよく、実際には単なる家族思いのキャラにすぎなかった。職務に忠実な軍人であり、家族思いの父親でもある模範的市民として確立されているヒューズが、であるが故にナチスに参加しているというのは製作者の戦争哲学に裏打ちされたものだろう。劇場でヒューズがジプシーを差別するような言葉を吐いた瞬間、誰もが意外な思いを抱いてしまうことを禁じえないが、そのような意外性は効果的に観客に対してこの時代のドイツの状況を(そして戦争とは何かを)知らしめることになる。
 まあそんな風に物語としてとても良く出来た作品であるだけでなく、ハガレン劇場版、そしてアニメとしてもサービスたっぷりで面白い作品だった。マスタングが閑職に就いているなんていう情けない様を見ることになろうなんて思いもしなかったよ…。グラトニーvsラースのシーンのグラトニーの変身、あとトゥーレ協会がドラゴンを回収するために戦闘機を発信させるシーンが共に劇場版エヴァエヴァシリーズのパロディになっていて(と思うんだけど…)にまりと(勝手に)してしまった。
 ほかに連想させられたのがトゥーレ協会会長のエッカルトによる錬金術世界侵攻の目的についてである。対外的にはトゥーレ協会が錬金術世界の力を手に入れることでナチス武装蜂起に尽力すること、としているのだけど実際にはエッカルトは「錬金術世界の存在を知ったとき、そのような世界と力があることが恐怖でならなくなり、だから滅ぼそうと思った(といった感じ)」という極めて個人的でありかつ理性的とは思えない目的でトゥーレ協会を利用して錬金術世界へと侵攻していたのだ。ここで連想してしまったのが『機動戦士クロスボーン・ガンダム』である。詳細は省くが、この作品は抑圧された状況下にある木星帝国の総統クラックス・ドゥガチが地球を侵略しようとする陰謀を描いた作品である。すでに宇宙を住家としている人類にとって地球は不要という目的を掲げてドゥガチは木星帝国軍を主導し、核攻撃によって地球を滅亡されてしまうつもりだった。しかし実際に地球を滅ぼそうとする理由は地球人の女があまりに優しかったから(今手元にないのではっきりとはいえないんだけどとにかく、個人的で理解し難いような憎しみ)というのががその理由である。結局は大義や崇高な目的などによってではなく「心がゆがんだだけのただの人間」による狂気にドライブされた悲劇だというところを重ねてしまったよ。