「13」 西岡智
- 出版社/メーカー: 新風舎
- 発売日: 2005/04
- メディア: 単行本
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西岡兄妹の漫画は『この世の終りへの旅』しか読んだことないけど、この作品は本当にカフカ色が濃かった。カフカにせよ、安部公房にせよ不条理な暴力っていうのは裁判だとか警察だとかの形で書かれることが多いように思う。なんらかの大きな力と言ったとき、その大きさの限界が国家だということなのかな。
この「13」てのは西岡兄妹のお兄さんの方が書いた小説のようで、マンガの原作がお兄さんで絵を描いてるのが妹さんのほうてことなのかな。「13」でも警察の介入から施設への入院といったようなセオリー通りの展開。けどカフカだと突然に世界に対する違和感が現れる感じだし、『この世の終わりへの旅』もそだったけど、「13」はもともと感じている世界からの疎外が顕在化されていくんだからちょっと違うのかな。
飲んだくれていた「ぼく」は気がつけば警察に捕らえられている。結局釈放されるものの、実はただ釈放されたわけではなくて社会からのはみだしものを集めた施設にいれられることになる、収容期間は無期限。時間感覚を失わないように「ぼく」は様々な努力をする(カレンダーに印をつけたり、ね)、永遠の中で区切りのない時間を生きれば発狂してしまうからだろう。しかしそのような努力は永遠の中では砂で堤防を築いたに等しいもので、「ぼく」は気が狂いそうだ、と施設の主任に訴えることになる。
主任は「ぼく」を連れて施設の裏へ散歩に行く、このシーンは極めて重要だ。実は、施設の裏には外界との境がなかったのだ。しかしながら主任も「ぼく」もそれがどういうことなのかよくわかっていないかのような会話がなされる。
この話のもっとも見事なシーンはまさにこの会話のシーンだと思う、オーソドックスな設定を生かした展開も見事だけど、この世界が開かれていることの意味がわからない、ということが開かれた世界を前に語られるこのシーンはすごい。「ぼく」は結局、施設の中で全く非生産的な労働につくことを選択する。
(あまりに平凡な結論で申し訳ないけども)これは我々の生き方の隠喩として書かれている、もちろんそれを笑顔で受け入れる主任の姿もまた我々の隠喩である。僕とあなたは一方が開かれた世界へ行かないように相互監視を欠かさない。
無論、「ぼく」を施設に送り込んだのが母と警察、家族と国家であることは我々の主体がいかにして形成されるかという問題について考えさせてくれる。ある閉じた空間の中で僕とあなたは共犯関係を築きながら、この閉じた世界の中で生き続けるわけだ。その外の世界がいったいどんなものなのかは僕にもよくわからないけど。