「そいる」

 金子一馬カネコアツシを勘違いしていた。僕の知ってる金子一馬の絵じゃないなあと思ったのは金子一馬じゃなくてカネコアツシだったからでした。カネコアツシ『SOIL』の1、2巻を買って読む。
 

 新興住宅地で、ある一家が突然消える。食事の準備が出来ていたり、「マリー・セレスト号」*1を思い起こさせるような消え方。そしてその一家の長女の部屋と、その住宅地にある学校の校庭に残っていた塩の柱。この一家消失を主軸にして、他にもこの新興住宅街に起こる様々な問題を扱っている作品。他に起こる問題にはなんらかの解決が与えられていくのだけど、一家消失の問題については実際に何の進展もない。しかしながらこの奇妙で、不気味で、嫌な汗が出るマンガは間延びした印象を与えないのがすごい。それはこのマンガが本筋以外の部分でも興味深いストーリーをいくつも書いているからだ。僕がここで取り上げたいのはそのうちの1つニュータウンにおけるいじめの問題について。


 住宅街全域に咲き誇る美しい花や、あちらこちらに仕掛けられた監視カメラ、主婦の画一的な笑い顔。そのフラットに作り上げれた空間において浮かび上がることを住民は周到に避けなければならない。互いが互いを映しあい、同質化したカオティックな「そいるニュータウン」に秩序を与えるスケープゴート。『SOIL』では「多額の損害を出させた」、「幸せそう過ぎる」、「お金を払わない」なんかの理由でスケープゴートが選出される(これらの理由の詳細についてはマンガを読まないと理解できないけど、理解なんてできなくても構わない。むしろ理解できないというのはスケープゴートの選出理由としてはとても正しいと言える)。些細な徴候を増大させてイジメの対象に選ぶなんていうのは学校におけるイジメの論理と一緒だよね。学校ではみんなルールを把握しているからみんな浮かび上がらないように必死だ。あるいは自分がイジメの対象になる前に誰かをイジメの対象として選んでしまうことで自分の安全を確保する。しかし、それはリスクを伴う行為であって、そのイジメの対象が登校拒否になったり死んでしまったりした場合、次の対象として選ばれるのは当然、その彼を選んだ人間になってしまうのだから。もちろん学校だけじゃなくて、会社でもそれこそ住宅街なんかでも同じルールのもとで皆生活している。イジメと言っても、本当にひどいイジメから、飲み屋で陰口の対象にされるとかいうのまでまあ程度は様々だとは思うけど。
 他に気になったのは監視カメラが停電時に無力になってしまっていた、という点。実際の監視カメラもそうなのかな。監視社会の隙を見せられたような気がした。


 長く書くと自分が何を書いているのかよくわからなくなって、もうこの時点で頭がぼーっとしてきたのでそろそろこのマンガについて話すのは終わりにしたいんだけど、要するにそういうフラットな空間を維持するためのスケープゴートについてとその選出のルールなんかを『SOIL』は忠実に描いているなあと思ったの。赤坂憲雄『排除の現象学』を読んだときの記憶を頼りにこの文章は書かれました。