『老人と海』 ヘミングウェイ、『地図にない町』 フィリップ・K・ディック

 友達の家で、友達がお仕事をしている間に本棚から適当に選んだヘミングウェイ老人と海』とフィリップ・K・ディック『地図にない町』を読んだ。
 『老人と海』の方はシンプルな描写でストイックな老人を書いた小説。心情描写を排した文章ってのは結構好きだ、描写されない部分を自分で想像するというのは常日頃僕達が日常生活でやっていることだから、かな。人生落ち目の老人サンチャゴが今度こそ、と大きな獲物をゲットにするために漁へ行く話。ロングなファイトの末にビッグなゲームをゲットするものの、シャークにアタックされて結局獲物は頭と尻尾、そして骨だけしか残らなかった。老人は行って帰ってきた、魚を獲って、獲られて帰ってきた。そこで得た経験によって成長するって話でもない、幼い子供ならこの経験によって成長したってことにもなるんだろうけど。サンチャゴは彼を慕う少年が一緒に居たらなあ(少年の親が少年が落ち目のサンチャゴと一緒に漁へ行くことを認めない)と漁をしている最中によく考える。少年はサンチャゴのことが大好き。役に立たない頭と尻尾だけでもそれは彼を慕う少年にとっては大きな勲章だったのかな。少年はその大きな頭だけでもサンチャゴの偉大さをアピールできるもの。サンチャゴは獲物を獲ったあとに金額にすると幾らくらいだろうなんて計算してるんだけど、それはお金のためのお金なんじゃなくて、プライドのためのお金なんだろうなあ。高給取りの人ってそのお金があることによる誇りだけじゃなくて、高給取りであるっていうそのこと自体を誇りに思ってるんじゃないかと思う。それのもっと極端なのがサンチャゴ(貧乏だけど)。
 『地図にない町』は表題作「地図にない町」がとっても面白い。駅員さんが存在しない駅への回数券を売ってくれと言われて困惑するところから始まる。実際に話を読み進めていくとその町は開発計画が存在したものの実際にはその計画は立ち消えた町であることが判明する。そして、その町が実体化しつつあり、それが彼の周りにも影響を与えていってるらしいと。その町が実体化すればそこの住人が周りの町にも影響を与えることになる、そしてそれらの矛盾がすべて解消されていってる(その町が存在していることが当然視されつつある)、その過程に彼だけが気づいてしまった。彼だけがその物語の中で特権的なパラドックスとなっている。物語の最後で、やはり彼も世界の改変の影響を蒙ることになるんだけど、それは意識が本当に改変されたのか、受け入れざるをえないから意識が改変されたふりをしたのか。