『存在論的、郵便的』を読んだ人間なら誰もが考えそうなことなんだけど、バルトのゼロ記号としての宮城解釈や、「空虚であるが故に…」的天皇論は否定神学だ。吉本隆明は起源を辿ることで天皇制を脱構築できると考えているけど(僕もその考えには同意していた)、それは「カーテンの後ろ側の空虚さ」に踊らされているだけじゃないか。山の民や海の民、職人やサンカ、沖縄の秘儀、こう言った方向から天皇を照射すれば何かが見えてくる気はするのだけど、それは起源を明らかにするためなんかじゃなくて…。ああ、頭がぼーっとしてるから考えがまとまらないわけじゃなくて頭が悪いからだったんだな。色々と物を考えるたびに自分の頭の悪さにはうんざりする。